プリズムをもう一度

こちらはマニアなオタク成分多めに。

カテゴリ:邦楽 > その他 邦楽(気まぐれ更新)

chigiriakiyoshi2nd2
無力 - 1999.9.29/チャート圏外
【収録曲】
01.生まれ変わっても×××
02.キスより熱い運命
03.嘆きの門
04.青白い炎のように揺れ続けて
05.1秒も離れられない
06.聖地
07.べつべつの涙
08.黙って愛し続ける自由
09.これが最後になるのなら
10.無力
11.黎明のとき

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秋吉契里
・生年月日非公開~2004年9月8日
・レーベル:Rooms RECORDS
・活動期間:1997年~2000年

世の中にはまだまだ自分の知らない、時代に埋もれてしまったアーティストが星の数ほどいるんだなあ、ということは日々実感している。もちろん、その全てを拾い上げるわけにもいかないので、そうしたアーティストの素晴らしい、素晴らしいけれど陽の目を見ることなく埋もれてしまった作品に触れる機会に恵まれたら、「ああ、もったいねえ」とひとり涙ぐみ鼻をすすっている、なんてことはありませんが机を拳でがんがん叩くくらいのことはしてるわけです。今回もそうした方のおひとり。しかし彼女はすでに故人である上に、個人的に彼女の存在を知った経緯が複雑なので、悔しさ倍増モードでお届け。

彼女の名を、秋吉契里(あきよし ちぎり)という。ビーイング傘下のRooms RECORDS(現:VERMILLION RECORDS)所属のシンガーソングライターであり——と書いた時点で「ビーイングかよお」と思われる方もいるかもしれないが、彼女の存在は恐らく数多くの(消えていった)ビーイング系シンガーの中でも特別に知られていないというか、仮に名前を知っていたとしても作品そのものは全然知らない人の方が大半であると思う。ビーイング系というレーベル単位でアーティストをカテゴライズし崇拝しているコアな層——所謂ビーイング・GIZA系マニア、にさえ忘れ去られている、もしくはスルーされている印象を受ける。少なくとも自分は彼女の作品批評・紹介記事というものを、ネット上でほとんど見たことない。ただ1件のファンサイトと(——とは言え、こういう超マイナーなアーティストにもファンサイトがあるあたりが、いかにもビーイングという感じがするが)2ちゃんのレス500にも満たない過疎化したスレッド、すでに閉鎖されているかつてコアなビーイング系ファンが運営していた女性歌手のレビューサイト、くらい……ってまあ十分かもしれないが、他の岸本早未やら竹井詩織里やら松橋未樹やら、一般人からすれば誰それレベルの歌手ですら各所で熱心に語り継がれているのに比べると、やはり圧倒的に少ない。
自分はそうしたマニア筋から彼女の存在を知ったわけではない。彼女の存在を知ったのはもう7、8年ほど前になる(——作品そのものを聴いたのはもっと後になってから)。とあるゴシップ記事がキッカケだった……のだが、それを書いてしまうとよくある2ちゃんのまとめ記事レベルの下世話で意味のない記事になってしまう恐れがあり、何より彼女に失礼にあたると思うので、ここでは割愛させていただく。どうしても知りたい人は、彼女の名前をGoogle先生に打ち込めば一発で分かると思うので、そちらへ。

話を戻して、彼女は所謂シンガーソングライターだったのだけれど、ではどういった作風であったか。簡単に言えば、ビーイングの椎名林檎。と言っても、デビューはこちらの方が1年先なので、倉木麻衣や愛内里菜とは事情が違い、要するに90年代後半から00年代前半に一時期トレンドになった、椎名林檎、鬼束ちひろ、Coccoらのような独特の世界観を持つ女性シンガーとして、先行する小島麻由美や榊いずみ(橘いずみ)らと並び、乱暴な表現をすればメンヘラ御用達シンガー、と括られる女性シンガーソングライターの先駆けとなった(——まあ、彼女自身は一度もヒットに恵まれなかったし活動期間も短かったので、先駆けと言うにはちょっと語彙があるかもしれない) 。
と、これだけ書けば分かるように彼女の存在とその作風はビーイングという組織の中においては極めて異質であった。大学院で日本文学を専攻していたというプロフィールの通り、決して大衆向けとは言えない、内省的でどす黒い感情渦巻く世界観を独特の言葉で綴り構築して(——本当かどうか分からないが、一部の楽曲はかの銀色夏生に影響を受けているような部分が散見される模様)それを70年代のフォークを下敷きとしたようなアンプラグドでレトロなバンドサウンドに乗せこちらへ殴りつけてくるように歌う…と、例えるには容姿も歌声も綺麗すぎるのだが、少なくともZARDや大黒摩季、宇徳敬子や倉木麻衣などでイメージされるビーイング系女性シンガー独特の”綺麗な”作風とは明らかに違っている。一言で言えば暗いのだがもっとそれ以上に、彼女の作品はフィクションとして純粋に楽しむことが許されないような、生々しいリアリティが漂っている。

しかしそれはCoccoのように極端に重苦しいものではないし、さりとて鬼束ちひろのようにスケールの大きな世界を感じさせるものでもない。あくまで彼女はこの世の全てに恨み言を吐くつもりはないし、罪だの罰だのと小難しいことを考えているわけでもないし、誰も彼も信用していないと牙を剥くわけでもない。ただひとりの人間に愛されたい、この世の人間全てに嫌われても、ただあなただけに愛されていたら、私はそれでいい。だけどあなたに愛されていなかったら、他でどんなに幸せだろうと、私はこの世に生きている意味など見出せない。——という、その怒涛の感情の嵐は常にただひとりの人間へと向けられている。だからと言ってあんたを殺してあたしも死ぬ、という激しさも、彼女にはない。精々家に帰ったら乱暴に靴を脱いで、ごみ箱を蹴飛ばして、灰皿やらティッシュ箱やら手当たり次第に物を投げまくって散々ひとりで暴れた後に、膝を抱えて暗い部屋で静かに泣いているような…って例えると身も蓋もないが、怒涛の感情といってもその程度である。しかしだからこそ妙にリアルで、何の前触れもなく浴槽に水を張って手首を切ってしまうんじゃないか、というような危うさや不穏な気配、薄闇が彼女の作品には常に漂っている。

その一方で、散々ひとりで泣いた後に「まあ、人生ってそんなもんよね、仕方ないよね」と自分に言い聞かせ、また何でもない顔をして普通の日常生活に戻っていくような(——もちろんそれは現実的には当然のことなのだが)、一歩引いた冷静さも彼女は持ち合わせている。恋を失って、生きる希望を見失い、そもそも自分の存在に意味はあるのかとか、もう自分が生きてきた痕跡すら消してしまいたい、跡形もなくこの世から消え去ってしまいたい……などと考えはするけれど、そもそもそれ自体がまるで意味のない思索であることを彼女はきちんと理解している。恋を失ったところで、生きる希望を欠いたところで、生きていけないわけではない。黙ってても皆いずれ死ぬ。忘れないで欲しいと願っても忘れられる時が来る。恋に熱く燃え上がり異常な執着を見せる自分を、そうした(——この世に生きている人間にしては、と言ってしまうと失礼かもしれないが)妙に冷め切って達観しているもうひとりの自分が俯瞰で見つめている、という二重人格的な部分があって、そこから醸し出される他の情念系シンガーの世界には見られないリアリティと独特の薄暗さに何とも表し難い魅力がある。

しかしこのように、ビーイング系としてはもちろん、他の女性シンガーソングライターと比較しても特殊な作風であるので、彼女がメジャーになり得なかったというのも何となく頷ける部分はある。ビーイング系のファンはそもそもこうした作品を求めていないだろうし、椎名林檎が好きな人にしてみれば迫力と威勢が足らないだろうし、鬼束ちひろ的なものを求める人にしてみれば歌のスケールが小さくて物足りないだろうし、Coccoの作品を愛している人にはそれ以外必要ないだろうし、かと言って宇多田ヒカルやら中島みゆきやらを崇拝している人にしてみれば、歌詞云々以前にシンガーソングライターとしての楽曲の完成度や歌唱力に不満が出るだろうし——というかそれ以前に聴くという選択肢にすら入らないだろう(——と言いつつ自分は宇多田ヒカル信者なのですが)。ごくごく狭いフィールドの中でも更に限定された需要しか満たさないアーティストである、というここまで長ったらしく書いておいて何じゃそりゃなのだが、残念ながらそういう人で、そういう作品である。しかし自分のように一度この世界にハマりこんでしまったら最後、見えない引力に吸い寄せられるように定期的に通い詰めたくなる、と言ったら変な表現か、聴きたくなってしまうのが、この秋吉契里というシンガーの作品、世界なのだ。

それにしても気になるのは、このような作品を世に送り出した秋吉契里という女性は、果たしてどんな人生を歩んで、何を考えていたのだろうかということ。何にそんなに絶望して、何故にそんなに誰かの愛情を求め、どうしてそんなにこの世を達観してしまっていたのかと。ビーイングという秘密主義の塊のような組織に所属していた宿命か、謎は謎のまま彼女は表舞台から静かに去り、そして2004年に病の末35歳の若さで亡くなった。今日、彼女の人物像を知る手掛かりは残された7枚のシングルと2枚のアルバム、そして99年末から00年初頭にかけて公式HP(http://www.being.co.jp/chigiri/index.html)上※にて連載された、自身の楽曲をタイトルに冠した短編小説のみ(——特に「キスより熱い運命」「1秒も離れられない」は圧巻。)なのだけれど、それでもよく分からない。よく分からないからこそビーイング系なのである、と言ってしまえばそれまでなのですが、ね。なんだか彼女の楽曲を聞いていると、彼女の存在そのものがまるでひとつの幻想のような、実態の見えない精霊か何かであったように思えてきてしまうのもまた、事実である。

※2016年某日に過去のビーイング所属者のHPが一斉に削除、ビーイングの公式HP内にて簡潔なアーカイブス形式で纏められてしまったため、現在は見ることが出来ない。



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