カテゴリ: シングルレビュー

河合その子
・1965年6月20日、愛知県知多郡横須賀町(現:東海市)出身
・レーベル:CBSソニー
・活動期間:1985年~1990年

アイドルの芸能活動というのはいつの時代も過小評価されがちだと思う。時代は今、某48人組アイドルグループの天下といえるが、果たして彼女らがいざグループを卒業し本格的な女優やミュージシャンへの道を選んだ時、元アイドルグループ出身、という色眼鏡を外し真っ当な評価を受けることが可能かと言われれば、それは明らかに茨の道であるのが目に見えている。アイドルとして得た人気やブランドと引き換えに、彼女らは半永久的に"元○○の~"といった己の過去の幻影に付き纏われることになり、女優や歌手として独り立ちしようとすればするほど、そうした「元・アイドル」のイメージが障害となって彼女らの前に立ちはだかる未来が待っていると言っていい。今回紹介する河合その子は、まさしくそれ。

彼女は今や「AKBプロトタイプ」と言われるおニャン子クラブの元メンバーである。フジテレビのバラエティ番組「夕やけニャンニャン」発の秋元康が全面プロデュースを手掛けたアイドルグループで、それまでのアイドルにあった近寄りがたさや神秘性を取り払い、お堅い芸能活動ではなくあくまで放課後のクラブ活動のような軽いノリで、何の芸も持たない少女たちがただひたすらきゃっきゃうふふしてるのを、全国のお茶の間の少年たちは可愛いなあとクラスメートを眺めるような感覚で仮想恋愛に浸る――という当時は雲の上の存在と言われていたアイドルの存在価値を根本から覆すようなコンセプトがウリであった。
おニャン子クラブのメンバーになるには、番組内で毎週行われる公開オーディションに合格する必要があったのだが、85年4月の番組放送開始直後に行われたオーディションの記念すべき合格者第一号が彼女、河合その子であった――が、彼女は実際にはおニャン子クラブのメンバーになりたかったわけではなく、ましてただの素人でもなかった。

実は遡ること83年に、彼女はCBSソニー主催の「ティーンズ・ポップ・コンテスト」という、楽器が弾けることが必須条件の若手ミュージシャン発掘系のオーディションで準優勝(――谷村有美や川島だりあも同コンテスト出身である)して、夕やけニャンニャンのオーディション合格時にはすでに事務所にも所属していた。年齢的には中森明菜や小泉今日子と同期であるのだが、しかし彼女はソニーに所属はしたもののソロの歌手としてデビューすることなく、高校からそのまま専門学校へ進み就職先もすでに決まっていた85年春におニャン子プロジェクトが発足、メンバーを探していた事務所スタッフに半ば騙されるような形でオーディションに参加する。
高校生であることがオーディションの参加条件であったので、すでに高校を卒業して社会人だった自分が合格することはないだろうと軽い気持ちで引き受けた結果、よもやまさか合格してしまい、彼女はおニャン子クラブの会員番号12番としてデビューすることになる。

とは言え、まさに美少女と呼ぶにふさわしい圧倒的なビジュアルと天然キャラで、スタッフの思惑通りにメンバー入り直後からたちまちおニャン子クラブ内で1、2を争うほどの人気を得る。おニャン子クラブ本体は翌86年に社会現象になるほどのブームを巻き起こすのだが、彼女はその助走段階としてグループの黎明期を支え、レコード会社の事情から楽曲のフロントボーカルに抜擢されることはなかったが、アイドルとして申し分のない人気とブランドを短期間で築き上げた上で、同年9月におニャン子クラブのメンバーとしては初のソロデビュー、かつ念願だった歌手デビューに漕ぎ着ける。

ソロデビューシングル「涙の茉莉花LOVE」はオリコン週間チャートで最高1位を記録。これは女性ソロ歌手のデビューシングルとしては当時史上初の記録である上、おニャン子関連の作品でも初の首位獲得(――かの有名な「セーラー服を脱がさないで」は1位獲得はしていない)であり、アイドルとしての彼女の人気がどれだけのものであったかが分かる。そしておニャン子クラブ卒業直前の86年3月にリリースした3枚目のシングル「青いスタスィオン」はおニャン子関連の作品では現在でも歴代最高の累計約34万枚のセールスを記録し、86年の年間チャートでも10位にランクインするという快挙を成し遂げ、彼女の歌手としての活動は何もかもが順調な滑り出しであるかのように思われた――が、しかし、と言うべきかやはり、と言うべきか。彼女はここから茨の道を歩むことになってしまう。 

元からアイドルではなくプロ志向の歌手・ミュージシャンを目指していた彼女は、86年3月におニャン子クラブを卒業すると同時に物凄い勢いで本格的なアーティストへの道を邁進することになる。
おニャン子時代からソロ4枚目「再会のラビリンス」までは、昨今のアイドル声優のごとく「意図的に」甘ったるく媚びた歌声を作ってしゃくり上げながら歌う、所謂「ぶりっ子歌唱」でわざと下手に聞こえるようなボーカルスタイルであったのをさっさと捨て去り、ソロ5枚目の「悲しい夜を止めて」ではそれまでとは全くの別人としか思えないほどに迫力と艶のある低音でパワフルに歌い上げるボーカルアプローチを披露。それまでのぶりっ子アイドルの仮面を剥ぎ取って、実は凄まじい歌唱力を持つ本格志向のボーカリスト、という本性を見せつける。
おニャン子クラブのメンバーとしてぶりっ子アイドルを装う必要の無くなった彼女はそれ以降、もはやアイドルという範疇を完全に逸脱した本格的かつ完成度の高いアーティティックな作品を矢継ぎ早に発表して更に実力を磨いた後、89年のアルバム「Dancin' In The Light」ではついに作曲まで手掛けるようになり、シンガーソングライターとしての才能も開花する――と、これだけ書くとアイドルからアーティストへの素晴らしいサクセスストーリーに思えるかもしれないが、しかし彼女の一連の音楽活動は、ある意味で一番重要とも言えるセールスに全く結びつかなかった。

凄まじい歌唱力で、それに見合うクオリティの高い楽曲を歌い、作曲の才能もあり、極めつけに美しいビジュアルの持ち主(――現代基準で見てもかなりの美人だと思う)。河合その子という歌手のステータスは、まさにチートスペックと呼ぶに相応しい、80年代に登場した幾多のアイドルたちの中でも指折りの逸材であると言える。これで売れないわけがない。しかし実際のセールスや人気はおニャン子クラブ卒業直前の「青いスタスィオン」をピークに、急転直下で右肩下がりの一途を辿ることとなった、何故か。それは、彼女がおニャン子クラブだったから。

「おニャン子クラブ会員ナンバー12番の河合その子」としてデビューした彼女には、乱暴な言い方をすれば「アーティスト・河合その子」はファンも世間も必要としていなかったのである。彼女は、歌も芝居も出来ない、ただひたすら周囲の大人たちの言いなりになって可愛く笑っているだけのアイドルではなくなった途端に多くのファンから愛想を尽かされ、しかしアーティストとして本来訴求していくべき音楽好きなどには所詮おニャン子上がりと門前払いをくらい、結局その後も失ったポピュラリティーを取り戻すことが出来ずに90年に全自作曲のアルバム「Replica」を発表後に活動休止を宣言し、その後94年に自身の大半の楽曲を手掛けた後藤次利氏と結婚、そのままアーティストとして返り咲くことなく引退してしまった。

改めてリアルタイムではなく後追いで作品を聴いた自分としては、彼女と周囲のスタッフは少し焦り過ぎたのではないか、と感じる。デビューシングル「涙の茉莉花LOVE」と1stアルバム「SONOKO」から順を追って聴いていくと、僅か5年という短い活動期間であったのにも関わらず、その間にリリースされた作品群は他の歌手にとっての10年、もしくはそれ以上に相当するくらいの変化を遂げている。例えるなら、中森明菜がデビュー曲「スローモーション」から本格的にセルフプロデュースを開始する「DESIRE」に至るまで約3年半に渡って踏んでいった段階を、彼女は僅か1年程で突き進んでしまった、といった感じか。
アイドルとして自ら築き上げたブランドやイメージを、アーティスト化を急ぐあまりファンや世間からの理解を十分に得られぬまま強引にぶち壊してしまったも同然で、確かにこれでは聴衆が付いていけなくなってしまうのも無理はない、と思う。デビュー4年目の88年には、いつまでも自らをアイドルとして扱うメディアに嫌気が差したのか、驚きのテレビ出演拒否を宣言するのだが、これによってそれまでなんとか付いていけていた残りの熱心なファンも振り切ってしまい、身動きが取れなくなった末に引退という結果に終わるのだから本末転倒である。

何を思ってスタッフが彼女をおニャン子クラブとしてデビューさせようと思ったのかは分からないが、もし彼女がもう少し待って、80年代後半のバブル全盛期にアイドルではなく、最初から歌の上手いアーティストとしてデビューしていたなら、恐らくかなりの大物になっていただろう。アイドルらしかぬさっぱりと洗練されて伸びやかな声質は今井美樹やZARDの坂井泉水と同系統であり、作曲も手掛けるという点では大黒摩季や岡本真夜の向こうを張ることも出来る。このような彼女の歌手としての優れた才能を生かせば、90年代にヒットチャートを席巻したガールズポップシンガーの重鎮として第一線で活躍、という構図もあり得ない話ではなかったと思う。

もちろん今更ここで自分がどういう言ったところで、彼女はすでにとっくに引退しているごく普通の専業主婦であるからどうしようもないのだが、ここまで後追いで聴いてもったいない、と思わせる歌手も珍しいのですよ。と言うわけで今日、某48人組グループやそこからぞろぞろと放流されている少女たちをうっぜーっと思ってる人も、最初から全否定するんじゃなくて、河合その子さんのように過去に潰れてしまった逸材の存在もあるので、決して元AKBだのなんだのという色眼鏡をかけず、きちんとその人自身を評価してあげましょう、ということ。ああホントにもったいない。机を拳でがんがん叩きたくなるほど、もったいないっ。



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akinarojo
Rojo -Tierra- - 2015.1.21/8位/2.5万枚

我らが明菜さまが4年半ぶりに帰って参りました、シングルCDという媒体では09年の「DIVA Single Version」以来約5年半ぶり、通算48枚目のシングルとなった今作。まず言っておきたいのは明菜さまの休養していた4年半の間、あの手この手といい加減な飛ばし記事を大量生産していたマスコミ各社は逝ってよし。んでもってこの期に及んでまで「まだ病んでる」だの「声が出てない」だのと、何がなんでも中森明菜を終わった歌手にしたいらしい装いファンとマスコミ各社は、まあ頑張りなさい、と勝者の笑みを送りたい。
―っと、そんな感じで結論を先に言えば歌姫・中森明菜の復活、を確信しましたよ。復活どころではないかもしれない、ブランクを経て劣化どころか確実にパワーアップして戻って来て下さいました。今だから言えるけども、去年8月の新曲「SWEET RAIN」を聴いた段階では正直ここまでは期待していなかったというのが本心なので、いやもう喜びで笑えばいいのやら感動で泣けばいいのやら状態。取りあえず語らせて頂きます。

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