DIVE
DIVE - 1998.12.19/44位/1.3万枚
【収録曲】
01.I.D.
02.走る (Album Ver.)
03.Baby Face
04.月曜の朝
05.パイロット
06.Heavenly Blue
07.ピース
08.ユッカ
09.ねこといぬ
10.孤独
11.DIVE

菅野よう子プロデュースの下、新鋭のサブカル系アイドルとして歌手デビューした声優・坂本真綾の通算2枚目のオリジナルアルバム。レコーディングはイギリスと東京の2か国8つのスタジオにて行われ、マスタリングエンジニアは巨匠Ted Jensenによる。
デビューシングル「約束はいらない」を含む1stアルバム「グレープフルーツ」は、初期の遊佐未森の作風(――「空耳三部作」に代表される和製ケルト)を下敷きに、当時すでに絶滅しかけていた正統派アイドルポップスの世界を再構築したもので、所謂「アイドル声優」の音楽としてはこれ以上ないほどに上質な仕上がりだったけど、菅野よう子と岩里祐穂はそこでの坂本真綾のあまりにピュアな歌声に何かを感じ取ったのだろう。続く本作はもう一歩踏み込んで、敢えて内省的で陰鬱な世界を彼女にぶつけた。

サウンドの方向性は、菅野よう子が得意とするボーダーレスなワールドミュージック――今作はUK録音ということもあってか、全体的にブリットポップ風味が強め。まだ歌手としての基礎力が十分に身についているとは、お世辞にも言えない18の少女相手に、北欧トラッド、ジャズ、テクノなど、明らかに現状では歌いこなすことが難しい楽曲を与えるという、スパルタ教育的な菅野よう子のプロデュースワークに注目。そのような菅野御大の手厚い庇護によって、アイドル声優でありながら本職とは直接関係のない――楽曲をアニメソングとして献上することなく、ひとりのポップス歌手・坂本真綾の作品として成立している。

「坂本真綾だけが歌える、ありふれない恋のうた。」――帯に書かれた言葉が、このアルバムの全てを物語っている。確かにここに収められているのは、坂本真綾にしか――正確に言えばこの頃の、まだ十代だった当時の坂本真綾にしか歌えなかった世界であると言える。
――顔も知らない誰かの定めた社会制度に従い生きることがひどく窮屈に感じられたり、自分以外の他者との間に見えない壁を作った気になって、ひとり勝手に疎外感や劣等感を育てて被害妄想に浸ってみたり。そうかと思えば自分は選ばれし特別な人間だと思い込んだり、恋に落ちた相手が誰よりも特別な存在だと信じて疑わず、互いがこの世に存在していればそれでいい、それだけでいい、とすら思えたり。この世の万物に対して疑心を抱き、誰かの理解を求めているようでいない、だからこそ無心に夢や希望といったものを信じていられる。そんな「思春期」という特権を持つ者だけが遊歩することを許される、陰鬱として薄暗い、しかしそんなフィルターを通してこそ何よりも美しく、幻想的に映る架空庭園のような濃密な世界。そこに生きるのは、何にも恐れを抱かずに無鉄砲に突き進んでしまえるような力強さと、誰か大人が「それは気のせいだよ」なんてぽんと肩を叩いてしまえば、一瞬にして全てがばらばらと砕け散ってしまうような儚さを合わせ持った、ワンオブゼムな少年(少女)の坂本真綾。彼(彼女)はこの架空庭園において、束の間の夢を見る。辛く悲しい出来事もない、誰からも不必要に干渉されることもない、何もかも全てが上手くいく、なんて理想的な世界。だけどその世界に、彼(彼女)以外の人間は存在しない。幸福で満ち足りた、彼(彼女)にとって良いことだらけのはずの世界で、彼(彼女)は永遠に孤独であり続ける。
――当然だ。黙っていても、何もしなくてもいずれは皆、大人になってしまうのだから。いつまでも架空庭園に閉じこもって、幸せな夢だけを見ているわけにもいかないのだから。普通に生きていて楽しいことなんて滅多にない、寧ろ辛いことの方がよほど多い現実で、様々な不条理に皆それぞれ折り合いをつけて、毎日を生きているのだから。だから、あらゆる殻を打ち破って、いつまでもそんな場所でひとり膝を抱えていないで、前へ進んでいこう。悲しいけれど、切ないけれど、それを乗り越えてこそ本当の恋に、愛に辿り着けるのだから。

――つまりはそんな感じで(分からん)ここにおいて菅野よう子と岩里祐穂は、坂本真綾を「子供」から「大人」に、「少女」から「女性」にしたかったのでは、という印象を抱く。このアルバム一枚が、そのようにある少年(少女)の成長ストーリーとして、ひとつの堅牢な世界観が構築されていると思う。当時の坂本真綾が、このような楽曲を与えた菅野よう子と岩里祐穂の意図、そしてそこに描かれている世界観の全てを理解した上で歌っていたかと言うと、多分そうではなく、歌手としての力量の足らなさも手伝って、曲によっては背伸び感が拭えないものも確かにある。でも、だからこそ良かったのだと思える。大人にはなり切れない、だけどもう子供とは呼べない。そんな当時の彼女が歌ったからこそ、この世界はより真に迫って響いた。

この「DIVE」での成果を経て、坂本真綾は歌手として表現者として、またひとりの女性としても次の段落に進み、今日に至る。大好きな「君」に素直な気持ちを伝えたり、過ぎ去った恋を懐かしく穏やかに回想したり、傷付いた人間を優しく大らかに包み込んだり、そうした後の楽曲における彼女の姿は、本作なくしてはあり得なかった。そんな、今はなき在りし日の坂本真綾――今まさに「子供」から「大人」に差し掛かろうとしている少年少女の一瞬、それらを完成度の高い「音楽」として結晶化させた、普遍的な名盤であると言える。

〇「I.D.」
――ノイジーなエフェクトが施されたピアノ伴奏を背負い、薄闇の向こうから少し俯き加減でひとりの少年(少女)が歩いてくる、といった雰囲気のオープニングナンバー。作詞は坂本真綾本人による。公式サイトのタイトルにもなっていることから、彼女の中でも重要な位置を占めている曲なのだろう。歌詞はまさに「レッツ自分探し」という感じなのだが、他の(若い)歌手によるそれらと決定的に違うのは「『本当の自分は他にある』なんて/こんなに自由な/こんなに確かな/僕がいるのに」――と、そうした「自分探し」という行動そのものは意味のないことである、と彼女自身がよく理解している、という点。最後の最後にまさしく菅野節な転調を伴って「あの空へ/始まりへ/いのちへ/僕を駆り立てる~」と歌う部分の解放感は尋常ではない。
〇「走る」※アルバムバージョン
――取りあえず結論から先に、これは大名曲。一応シングルカットされているけど、未だベスト盤には回収されず、よってこの曲の存在だけでも本作には凄まじい価値があると言えます。イントロから導入される軽快かつ生々しいストリングスは打ち込みではなく、本物のオーケストラ隊によるもの。さほどインパクトのあるメロディではないものの、現状で成し得る精一杯の背伸びをしたようなボーカルとの相乗効果により、躍動感と哀切のバランスが絶妙。シングルバージョンのキュートで若さ全開なボーカルと比べると、声だけでここまで全体の雰囲気を変えてしまうあたり、いくら18の小娘でも(失礼)立派な声優なんだなと思えます。歌詞は一見すると恋人同士のきゃっきゃうふふ的な世界に思えるが、私たちだけが暮らす、永遠に終わりの来ない世界――ありもしない世界を探しに行こう、という内容から類推すると、この「走る」というタイトルはダブルミーニングとなっているのでは。そんな風に、この世に存在しない世界を求め「走る」なら、生きている間はずっと走り続けなければならない、という。いずれにせよ、当時の坂本真綾ならではの躍動感と切なさに満ちた、必聴の名曲。
〇「Baby Face」
――軽やかな全英語詞ナンバー。こうなると物真似レベルで原田知世の世界になります、不思議。ひたすら無国籍な原田知世のボーカルに比べると、モロにジャパニーズイングリッシュなので、完全に雰囲気モノって感じですが悪くはない。
〇「月曜の朝」
――懐かしいSFチックでダークなテクノサウンド、一瞬YMOを彷彿とさせるような感じ。菅野御大はリソースの引用が上手いですね。今日こそ何か新しい、希望に満ちた朝に違いない――と風呂敷を広げてすぐに「ちがうよ/ただの月曜日/おんなじことの繰り返し」とすぐさま引っ込めてしまう歌詞が妙にリアルで秀逸。リアル過ぎてちょっと目を背けたい気も。
〇「パイロット」
――本人によるセルフコーラスが美しい、良い意味で突き抜け切らない間延び感が心地いい楽曲。ここらで飽きてしまう人はこのアルバムは合わないかも。社会の規律に従って生きることに苦痛を感じている――なんて、誰しも一度はこんなこと思うよなあ、と妙に感傷的になる歌詞はご本人によるもの。比喩表現を存分に使って乗り切ってるけど、要は尾崎豊「卒業」の世界。ある意味とってもピュアですね。褒めてます。
〇「Heavenly Blue」
――珍しくAOR調のアレンジが独特で面白いですが、これも注目すべきは歌詞。「もうほっといて」「ひとりでいたいと本気でそう思ってる」なんて啖呵を切って逃げてきたはいいけど、いざ一人になるとなんかちょっと寂しくなっちゃって、最後には「暗くなる前に帰ろう」という――要はプチ家出の歌ですね(身も蓋もない)。何だか絶妙にやる気のなさげなボーカルもいい感じ。
〇「ピース」
――菅野先生やりたい放題。歌詞がボーカルが云々よりも、縦横無尽に這いずり回るベースライン、全体のバランスなんて考えの外、溶け込む気など全くないバトルフィールド状態なオルガンとホーンセクションなど、アレンジがカオス過ぎてそっちに耳がいきます。肝心のマーヤが押され気味ですが、いいんでしょうかこれは、いいんだろうね。とは言えボーカルも、バックの音に負けじと意図的なのか、ちょっとひねった歌い方をしていてこれも味。本人による詩作も、清々しいほどに小生意気な若者感が出ていて好きです。
〇「ユッカ」
――「誰も一人で死んでゆくけど/一人で生きてゆけない」などと、いきなり哲学的なことを言い出す歌詞が印象的だけど、楽曲自体もなかなか面白いと思います。基本的にウォーキングビートで進んでいくのだが、テンポに良い意味で統一感がないような気がする(自分だけかもですが)のは、マーヤ嬢の頼りないボーカルによる妙。まだ音程を取るのに一生懸命で、情感に乏しい硬質な歌声だからこそ、普通に歩いてみたり、ちょっと小走りになったり、途中で少しつまづいたり、という決して平坦ではない道のりをマイペースに着実に進んでいるような、独特の雰囲気が出てる。90sブリット・ポップ直球なアレンジも良い。
〇「ねこといぬ」
――オーバープロデュースここに極まれり。いくらなんでも無茶だろうって感じにあんまりにジャジーでアダルトな楽曲。ゴージャスでまったりとしたオーラを撒き散らすサウンドを背負い、なんとか一生懸命に歌いこなそうとするマーヤ嬢の、それでもやはりこのような曲にはミスマッチな可愛らしさが漂ってしまうボーカルに萌え。ふわあっと頼りなく息が漏れる高音がツボです。何となく原田知世の「早春物語」を思い出した。
〇「孤独」
――タイトルからしてお腹一杯って感じですが、弦楽器(チェロかな?)をフィーチャーしたアレンジがやたら泣きたくなるほどに美しいので、無視できない楽曲。同じ場所をぐるぐると回ってるような、考えても正しい答えなど出るはずもない、意味もなくネガティブな思考に囚われているような歌詞は、まさに今作のハイライトと言えるかも。「人はどうして愛したら愛されることでしか/幸せになれないんだろう」――ねえ、何ででしょうねえ。
〇「DIVE」
――水のSEからゆったりと導入、そのまま力を抜いて静かに水底へ沈んでいくように穏やかな旋律が展開していく。曲が進むにつれモノクロの風景が鮮やかに着色されていくようなイメージで、マーヤ嬢のボーカルも自然体で伸びやか。タイトルの「DIVE」とは、深く暗い海底(=現実)に向かって傷つきながらも泳ぎきり、その先にある美しい世界――「あなたの心」を手に入れる、という逆説的な意味。よって「はじめて終わったんだ/はじめて自分に向かって嘘をつかず/怖がらずに愛せたことがうれしい」と歌った時点で、この作品の主人公(≒坂本真綾)は幸福で孤独なユートピアから脱出し、現実世界に帰還する。これ以上ないほど完璧な構成です。

≪10/10点≫

M1,M5,M7,M9.【作詞:坂本真綾/作曲/編曲:菅野よう子】
M2,M4,M8,M10,M11.【作詞:岩里祐穂/作曲/編曲:菅野よう子】
M3.【作詞:TIM JENSEN/作曲/編曲:菅野よう子】
M6.【作詞:坂本真綾・TIM JENSEN/作曲/編曲:菅野よう子】