chigiriakiyoshi2nd2
無力 - 1999.9.29/チャート圏外
【収録曲】
01.生まれ変わっても×××
02.キスより熱い運命
03.嘆きの門
04.青白い炎のように揺れ続けて
05.1秒も離れられない
06.聖地
07.べつべつの涙
08.黙って愛し続ける自由
09.これが最後になるのなら
10.無力
11.黎明のとき

あるひとりの女性の悪夢を垣間見てしまった、というかそんなアルバムである。普段は何とも思わずに通り過ぎていくけれど、ふとしたことをキッカケに——例えば恋人に振られたとか、親や友達と喧嘩したとか、仕事で失敗したとか、変わらず続いていく日常のほんの些細な一瞬の出来事を発端に気分が沈みきって、この世におけるあらゆる出来事が全てマイナス、悪い方向にしか捉えられなくなっている、まさしくそんな状況下での心理状態がここでは表現されている。この世の全てに絶望しきって、私を苦しめる万物に対して復讐してやるというように不気味で青白い、しかし何よりも熱く燃え上がる炎のような激情の嵐は、まるでガラスが割れる瞬間をスローモーションにして見せつけられているような、破滅の一瞬に漂う美しさと悲しさのようなものを漂わせていて、それらは彼女のシンガーソングライターとしての歌唱力や楽曲制作能力の未熟さ・練れてなさといった問題を超越して、ここにワンアンドオンリーの世界を構築している。

ビーイングのシンガーソングライター、秋吉契里の2ndアルバムにして遺作となった「無力」の話。これ、何だか色々と凄まじすぎる作品である。このアルバム全体がひとつの物語というか閉ざされた世界になっていて、その完成度の高さと漂う重苦しい雰囲気とリアリティにはただひたすら圧倒されるのだけど、全てを聴き終える頃には心の中が決して振り払えない闇に覆われている気分になるというか、まるで後味の悪いホラー映画でも見終わったような、そんな気分になる。雲ひとつなくて雨も降っていないのに、しかしその空は決して青くない、どこまでも果てしなく灰色でありそこには何か不吉なことが巻き起こる前兆のように数羽のカラスが飛び交っている、という感じ。このようなアルバムが遺作というのはあくまで偶然に過ぎないのだろうが、ちょっとあんまりにも救われないなあと思ってしまう。

アルバムの一曲目「生まれ変わっても×××」舞台はどこか都心の駅のホームである。
「1番線に電車が参ります。危ないですから、足元の白線まで下がってお待ちください」——というアナウンスと、行き交う人混みの雑音が響き、間もなく電車が進入してくる。その雑踏の真ん中で彼女は静かに歌い出す。
「あゝあゝ誰かこの未来に僅かな期待を持ってくれないか」——って早速こんなところで何を不穏なことを言い出すのだという感じだけど、しかし確かにこの曲は聴き方によっては「そういう歌」であると解釈できてしまう。
「ああ愛ある限りは 崩壊すべき恐怖から逃れ そう君と吸った煙草の匂い 北の最果てに咲く白い花 この胸の時間をただちに止めて 輝く笑顔が降り積もる ~ 生まれ変わっても もう一度 自分に生まれ変わって ××× あなたに逢いたい」——って、もうこれ遺書か何かですか、と。
極めつけにこのような歌詞を彼女は、悲壮感の欠片も漂わないひたすらに優しげで包み込むようなウィスパーボイスで歌っていて、もうこの時点で待て早まるなって言いたくなりますが、これがなんと一曲目だというのだから、もう色々ととんでもないアルバムであるということは十分伝わっているかと。

アルバム前半はこの曲に象徴されるように静かで、内に秘めた自殺願望というか、ゆっくりと静かに確実に破滅への道を突き進んでいるかのような、原因不明の不穏な気配のようなものが漂っている。
「冷たい太陽が照らす道よ 夢などもう見たりしないから いつの日か同じ場所に辿りつきたい」——「キスより熱い運命」
「これ限りと失ってしまうもののように愛した いとしい君の顔さえ想い出すこともなく生きてゆく僕を見ないで」——「嘆きの門」
「私達はどんなときも泣かないように 弱さを隠して歩んでいくの 虚しい幻想でも心の空白にまぶしさ映して」——「青白い炎のように揺れ続けて」
こんな感じでそのどれもが退廃的かつ、敢えて核心をはぐらかしたように暗示的で、聴いてる側には何がどうなってこんなに彼女がこの世に絶望しきってしまっているのか、生きる希望を失っているのかという原因が全く示されていないので、なんだかひたすらもやもやとした霧に覆われているかのようなダウナーぶりが少し心地よく感じたりする一方で、妙な催眠術にかけられているような居心地の悪さを感じたりもする。

で、これが「1秒も離れられない」から様相が変わる。ここまでは何とかして抑え込んでいた激情を放出せんと言わんばかりに、凄まじい情念を一気に噴出させていく。
「わがまま通して一生相手にされないよりはましな方選ぶの 社内や家族の評判もっともっと心から自由を奪って」
「ここじゃ泣けない愛してるなんて どんなに独りでももう逢えない ふたりのときにしか見せないその瞳 いっそ永久に私を縛って」
——などと相手の肩を引っ掴んで激しく揺さぶるように、食らいつくように荒々しく歌い上げるさまは、演出過剰にも感じられるデコラティブな歌詞、アンプラグドでストイックなサウンドと合わせてほとんど椎名林檎の向こうを張ってやるというような仕上がりで、本作の完成度の高さを象徴するような傑作ナンバーである。
次の「聖地」は一転して、不吉な音色の打ち込みアレンジとヒステリックで涙腺崩壊間際のように揺らぐ危ういファルセットがほとんど確信犯的な、絶望感に溢れすぎているバラードナンバーで、これもやはりよく出来ている。
「路地裏にただよう闇の果てに 赤い風船はふわりと消えて 今はもう思いだせないけど どうしてあんなに笑っていられたの ~ ずっとそばにいられたら それですべてはいいんじゃないかって思ってた」
「君と過ごしたあの場所を あの聖地をずっとずっと忘れない」
——こうやって文字で書き出すと何を言わんとしてるのかな過剰に飾り立てられた言葉の羅列にしか見えないけど、これが凄まじいダークネスを放つサウンドと、何かの呪詛のように抑制のかかったメロディに乗せ歌われると、何とも表しようのない終末感が漂い、こうなってしまうとほとんど葬送曲なのですが、不思議と中谷美紀の「フロンティア」を思い出すようなというかそんな感じで、この独特の暗さ恐ろしさ不気味さが聴いてると何故か心地よかったりもする。
「想いをどこにも残すことなく 生きてゆくことなど出来はしない」——というフレーズが光るダウナーバラード「べつべつの涙」の切迫感もなかなか。ちなみに「べつべつの涙」という言葉は銀色夏生の詩集「好きなままで長く」からの引用である、というのは事実なんでしょうかね。

そしてこのアルバム最大の山場が「黙って愛し続ける自由」~「これが最後になるのなら」~「無力」の流れ。
「始めてあなたに出逢ったとき 自分が女じゃなければって思った 何も言えなかった」
「ただ黙って愛し続ける自由を お願い どうか奪わないで」
——どんなに声を上げようと手を伸ばそうと、その想いは相手に届かない。ただ黙って、内に秘めて、一方的な愛情を注ぐことしか出来ない。せめてそれくらいは、それだけは許してほしい、という一歩間違えれば自意識過剰ですよって感じだけど、彼女の怜悧で冴えた言葉選びが成せるワザか、不思議とそうは聞こえずにただひたすらに痛いほどの哀愁と寂寥のみがリスナーにぶつけられる。

そして個人的には本作のベストトラックであり、彼女が残した全楽曲の中でも最高傑作なのではと思える「これが最後になるのなら」。
「これが最後になるのなら困らせたりしない ごめんね あの言葉は忘れてね 淋しくなるね」
——結果に納得しているわけではない。でもこうするしかないから、全てを胸の内に秘めて、声を上げ泣くわけでもなく、ただごめんね、淋しくなるね、と静かに別れを告げる。「1秒も離れられない」での激情はどこへやったのだ、というほどに、この曲での彼女は全てを諦めてしまっている。
「生きてゆくのはわけない 一点の曇りもない空を鳥が渡った」
——燃え盛るような情念から転じて、このいっそ恐ろしいくらいの冷静さが、彼女の楽曲の世界観を唯一無二たらしめていると言っていい。スリリングかつ不気味な、真冬の凍てつく空気を音の粒に凝縮したようなアレンジも実に秀逸。
そして次の「無力」でついに彼女は悟りを開いてしまう。絶望、憎悪、狂気、悲哀といった諸々のどす黒い感情や激情を全て洗い流してしまうかのように「せめて優しい気持ちで生きていこうと決めた」——と彼女は祈るように静かに歌い上げる。

クライマックスの「黎明のとき」——これがもう、壮絶である。もう全てがどうでもいい、死ぬも生きるも同じ、何も信じないし信じられない、という自分。まだ諦めてはいけない、負けてはいけない、生きていかなければならない、という自分。相反するふたつの人格が頭の中でひたすらせめぎ合い、ぶつかり合った感情がどす黒い塊となってこちらへ襲い掛かってくるという感じ。
「邪魔ということばにはじかれ行く場所を失った もう未来を投げてるそんな眼をしてみせた卒業」
——と彼女が歌えば、
「憎むべきひともなく責めるべきひともなく ただ生きていた痕跡をなくしてしまいたいというこの願い」
——ともうひとりの彼女がそれを打ち返すように喋り出す。
「輪郭も重力も夜に紛れ見えないものになるとき 僕ははじめて僕を知りどんなときよりも僕を感じていた」
「自由ほど恐ろしい拘束はないと誰かが云った」
——など、哲学的なことを言ってみたり屁理屈を並べてみたりして、彼女は(意味のない)思考の渦にどんどん埋もれていく。どつぼに嵌まる、というのはちょっとざっくりすぎる表現だが、そんな感じでもはや誰の声も届かないような暗闇に彼女はどんどん迷い込んでいく。
そして曲が進むにつれて徐々にこのふたり(彼女)の声が混ざり合い、最終的にそれらが言葉にならない音の塊、雑音のようなものになった時——。
そこで唐突に曲はストップする。すると次の瞬間に聞こえてくるのは、公園で遊ぶ子供の声、走る車のエンジン音といった日常の音。ここでようやくこのアルバムが、一曲目の「生まれ変わっても×××」から始まり、この「黎明のとき」で全てが終わる、閉じられるというひとつの物語、幻想であったことが分かる。

つまりは冒頭「生まれ変わっても×××」で駅のホームでひとり虚ろな様子で歌っていたヒロインは、何かに絶望して生きる気力を削がれ、そこからまるで異次元に引きずり込まれるようにして激情に駆られて正気を失い、誰の声も届かぬほど、日常の音も聞こえなくなるほどに心を病んでしまった。「キスより熱い運命」~「無力」における絶望、孤独、寂寥の渦中で周りが見えなくなるほどに激しい情念を燃え上がらせた彼女の姿は、あくまで彼女の心の闇が見せた悪夢と言う名のまぼろしであり、最後にこの「黎明のとき」で急激に意識の底から引き上げられ眠りから覚めるように、突然視界に飛び込んできた変わらない日常の風景、耳に聞こえてくる生活音などで彼女は悪夢から解放され正気を取り戻し、また何でもないような顔をして日常に紛れていく——というように、曲が終わってから一分以上そうした生活音が流された後、ようやくこのアルバムが閉じられる。

このように、アルバム一枚が壮大な夢オチならぬ悪夢オチのような作りになっている(——と、思える)。怒涛の感情の嵐に駆られて我を失った自分、それを俯瞰でもうひとりの冷静な自分が見つめている、といった独特の二重人格的な側面は前作「存在」においてすでに披露していたものだが、とは言え前作はやや勢い勝ちというか彼女のシンガーソングライターとしての未熟さ詰めの甘さの方が目立っていたために、ビーイングにありがちな雰囲気重視の作品、という評価も出来てしまうものだった。
それが一転して、ここまで濃密に作り込まれた完成品を突き付けられては、もうひたすら凄い素晴らしいと平伏すしかない。のだけど、樹海にぽつんと取り残されたように救いがなく、重苦しい聴き心地であって、決して万人に勧められる作品ではないこともまた事実である。誰に頼まれたわけでもなく自分から手に取って聴いてここまで好き勝手に語った挙句また繰り返し言うのもなんだが、このようなアルバムが遺作というのはあんまりにあんまりですよ。聴いた側は轢き逃げに遭った気分になるというか(——などと、重ね重ね失礼な発言が飛び出す)、果たしてこんなアルバム作っちゃって彼女は大丈夫だったのかと。仕上りとしてはもう大名盤と呼べる作品であることは確か、しかしこれをどう受け取るかってのは、実に難しい問題であると思う。

しかし改めて思うに、こうした本人の精神的安泰と引き換えるようにして結果生み出される芸術品というものが、他の追従を許さぬほどに素晴らしいというのはもう変えようのない事実であって、そういうものが世に出されてしまった以上は素晴らしい、と何も言わずただただ拝聴するのみ。それが、一番正しい受け取り方なんだろうな、と。
ジャケット写真の彼女の力強い眼差しが、今となっては唯一の救いといえる。恐ろしくも悲しい、だが美しい、隠れた名盤。

≪10/10点≫

M1~M11.【作詞/作曲:秋吉契里/編曲:池田大介】