秋吉契里
・生年月日非公開~2004年9月8日
・レーベル:Rooms RECORDS
・活動期間:1997年~2000年

世の中にはまだまだ自分の知らない、時代に埋もれてしまったアーティストが星の数ほどいるんだなあ、ということは日々実感している。もちろん、その全てを拾い上げるわけにもいかないので、そうしたアーティストの素晴らしい、素晴らしいけれど陽の目を見ることなく埋もれてしまった作品に触れる機会に恵まれたら、「ああ、もったいねえ」とひとり涙ぐみ鼻をすすっている、なんてことはありませんが机を拳でがんがん叩くくらいのことはしてるわけです。今回もそうした方のおひとり。しかし彼女はすでに故人である上に、個人的に彼女の存在を知った経緯が複雑なので、悔しさ倍増モードでお届け。

彼女の名を、秋吉契里(あきよし ちぎり)という。ビーイング傘下のRooms RECORDS(現:VERMILLION RECORDS)所属のシンガーソングライターであり——と書いた時点で「ビーイングかよお」と思われる方もいるかもしれないが、彼女の存在は恐らく数多くの(消えていった)ビーイング系シンガーの中でも特別に知られていないというか、仮に名前を知っていたとしても作品そのものは全然知らない人の方が大半であると思う。ビーイング系というレーベル単位でアーティストをカテゴライズし崇拝しているコアな層——所謂ビーイング・GIZA系マニア、にさえ忘れ去られている、もしくはスルーされている印象を受ける。少なくとも自分は彼女の作品批評・紹介記事というものを、ネット上でほとんど見たことない。ただ1件のファンサイトと(——とは言え、こういう超マイナーなアーティストにもファンサイトがあるあたりが、いかにもビーイングという感じがするが)2ちゃんのレス500にも満たない過疎化したスレッド、すでに閉鎖されているかつてコアなビーイング系ファンが運営していた女性歌手のレビューサイト、くらい……ってまあ十分かもしれないが、他の岸本早未やら竹井詩織里やら松橋未樹やら、一般人からすれば誰それレベルの歌手ですら各所で熱心に語り継がれているのに比べると、やはり圧倒的に少ない。
自分はそうしたマニア筋から彼女の存在を知ったわけではない。彼女の存在を知ったのはもう7、8年ほど前になる(——作品そのものを聴いたのはもっと後になってから)。とあるゴシップ記事がキッカケだった……のだが、それを書いてしまうとよくある2ちゃんのまとめ記事レベルの下世話で意味のない記事になってしまう恐れがあり、何より彼女に失礼にあたると思うので、ここでは割愛させていただく。どうしても知りたい人は、彼女の名前をGoogle先生に打ち込めば一発で分かると思うので、そちらへ。

話を戻して、彼女は所謂シンガーソングライターだったのだけれど、ではどういった作風であったか。簡単に言えば、ビーイングの椎名林檎。と言っても、デビューはこちらの方が1年先なので、倉木麻衣や愛内里菜とは事情が違い、要するに90年代後半から00年代前半に一時期トレンドになった、椎名林檎、鬼束ちひろ、Coccoらのような独特の世界観を持つ女性シンガーとして、先行する小島麻由美や榊いずみ(橘いずみ)らと並び、乱暴な表現をすればメンヘラ御用達シンガー、と括られる女性シンガーソングライターの先駆けとなった(——まあ、彼女自身は一度もヒットに恵まれなかったし活動期間も短かったので、先駆けと言うにはちょっと語彙があるかもしれない) 。
と、これだけ書けば分かるように彼女の存在とその作風はビーイングという組織の中においては極めて異質であった。大学院で日本文学を専攻していたというプロフィールの通り、決して大衆向けとは言えない、内省的でどす黒い感情渦巻く世界観を独特の言葉で綴り構築して(——本当かどうか分からないが、一部の楽曲はかの銀色夏生に影響を受けているような部分が散見される模様)それを70年代のフォークを下敷きとしたようなアンプラグドでレトロなバンドサウンドに乗せこちらへ殴りつけてくるように歌う…と、例えるには容姿も歌声も綺麗すぎるのだが、少なくともZARDや大黒摩季、宇徳敬子や倉木麻衣などでイメージされるビーイング系女性シンガー独特の”綺麗な”作風とは明らかに違っている。一言で言えば暗いのだがもっとそれ以上に、彼女の作品はフィクションとして純粋に楽しむことが許されないような、生々しいリアリティが漂っている。

しかしそれはCoccoのように極端に重苦しいものではないし、さりとて鬼束ちひろのようにスケールの大きな世界を感じさせるものでもない。あくまで彼女はこの世の全てに恨み言を吐くつもりはないし、罪だの罰だのと小難しいことを考えているわけでもないし、誰も彼も信用していないと牙を剥くわけでもない。ただひとりの人間に愛されたい、この世の人間全てに嫌われても、ただあなただけに愛されていたら、私はそれでいい。だけどあなたに愛されていなかったら、他でどんなに幸せだろうと、私はこの世に生きている意味など見出せない。——という、その怒涛の感情の嵐は常にただひとりの人間へと向けられている。だからと言ってあんたを殺してあたしも死ぬ、という激しさも、彼女にはない。精々家に帰ったら乱暴に靴を脱いで、ごみ箱を蹴飛ばして、灰皿やらティッシュ箱やら手当たり次第に物を投げまくって散々ひとりで暴れた後に、膝を抱えて暗い部屋で静かに泣いているような…って例えると身も蓋もないが、怒涛の感情といってもその程度である。しかしだからこそ妙にリアルで、何の前触れもなく浴槽に水を張って手首を切ってしまうんじゃないか、というような危うさや不穏な気配、薄闇が彼女の作品には常に漂っている。

その一方で、散々ひとりで泣いた後に「まあ、人生ってそんなもんよね、仕方ないよね」と自分に言い聞かせ、また何でもない顔をして普通の日常生活に戻っていくような(——もちろんそれは現実的には当然のことなのだが)、一歩引いた冷静さも彼女は持ち合わせている。恋を失って、生きる希望を見失い、そもそも自分の存在に意味はあるのかとか、もう自分が生きてきた痕跡すら消してしまいたい、跡形もなくこの世から消え去ってしまいたい……などと考えはするけれど、そもそもそれ自体がまるで意味のない思索であることを彼女はきちんと理解している。恋を失ったところで、生きる希望を欠いたところで、生きていけないわけではない。黙ってても皆いずれ死ぬ。忘れないで欲しいと願っても忘れられる時が来る。恋に熱く燃え上がり異常な執着を見せる自分を、そうした(——この世に生きている人間にしては、と言ってしまうと失礼かもしれないが)妙に冷め切って達観しているもうひとりの自分が俯瞰で見つめている、という二重人格的な部分があって、そこから醸し出される他の情念系シンガーの世界には見られないリアリティと独特の薄暗さに何とも表し難い魅力がある。

しかしこのように、ビーイング系としてはもちろん、他の女性シンガーソングライターと比較しても特殊な作風であるので、彼女がメジャーになり得なかったというのも何となく頷ける部分はある。ビーイング系のファンはそもそもこうした作品を求めていないだろうし、椎名林檎が好きな人にしてみれば迫力と威勢が足らないだろうし、鬼束ちひろ的なものを求める人にしてみれば歌のスケールが小さくて物足りないだろうし、Coccoの作品を愛している人にはそれ以外必要ないだろうし、かと言って宇多田ヒカルやら中島みゆきやらを崇拝している人にしてみれば、歌詞云々以前にシンガーソングライターとしての楽曲の完成度や歌唱力に不満が出るだろうし——というかそれ以前に聴くという選択肢にすら入らないだろう(——と言いつつ自分は宇多田ヒカル信者なのですが)。ごくごく狭いフィールドの中でも更に限定された需要しか満たさないアーティストである、というここまで長ったらしく書いておいて何じゃそりゃなのだが、残念ながらそういう人で、そういう作品である。しかし自分のように一度この世界にハマりこんでしまったら最後、見えない引力に吸い寄せられるように定期的に通い詰めたくなる、と言ったら変な表現か、聴きたくなってしまうのが、この秋吉契里というシンガーの作品、世界なのだ。

それにしても気になるのは、このような作品を世に送り出した秋吉契里という女性は、果たしてどんな人生を歩んで、何を考えていたのだろうかということ。何にそんなに絶望して、何故にそんなに誰かの愛情を求め、どうしてそんなにこの世を達観してしまっていたのかと。ビーイングという秘密主義の塊のような組織に所属していた宿命か、謎は謎のまま彼女は表舞台から静かに去り、そして2004年に病の末35歳の若さで亡くなった。今日、彼女の人物像を知る手掛かりは残された7枚のシングルと2枚のアルバム、そして99年末から00年初頭にかけて公式HP(http://www.being.co.jp/chigiri/index.html)上※にて連載された、自身の楽曲をタイトルに冠した短編小説のみ(——特に「キスより熱い運命」「1秒も離れられない」は圧巻。)なのだけれど、それでもよく分からない。よく分からないからこそビーイング系なのである、と言ってしまえばそれまでなのですが、ね。なんだか彼女の楽曲を聞いていると、彼女の存在そのものがまるでひとつの幻想のような、実態の見えない精霊か何かであったように思えてきてしまうのもまた、事実である。

※2016年某日に過去のビーイング所属者のHPが一斉に削除、ビーイングの公式HP内にて簡潔なアーカイブス形式で纏められてしまったため、現在は見ることが出来ない。



chigiri1st
HAPPY BIRTHDAY FOR YOU - 1997.2.19/チャート圏外
【作詞/作曲:秋吉契里/編曲.C.Crew】
≪8/10点≫
記念すべきデビュー曲。ビーイング伝統の絶望的に野暮ったい打ち込みポップスとは明らかに一線を画すノスタルジックでフォーキーな、牧歌的な温かみのあるバンドサウンドを展開。アレンジを手掛けているC.Crewというのが一体何者なのかは分からないが、キーボード演奏が池田大介によるものなので、彼を中心としたクリエイター集団もしくは彼の変名であると思われる。メロディやコード進行は実に優等生的というか清々しいほどに王道を往くもので、ずぶの新人としてはえらい綺麗にまとまっているが、デビューに際して長戸先生が課したであろうえらい高いハードルを飛び越えて出てきたのだから、まあ当然か。ボーカルは後の作品に比べると声も可愛らしくやや棒読み歌唱気味なのだが、カップリングの「ねぇ…」では早くもドスの効いた低音で感情むき出しなボーカルを披露しているので、この曲での抑えた歌い方は敢えてそうした、と解釈すべきかな。張り上げた時の高音がややヒステリックで歌声に感情的な揺らぎが表れるのが彼女の最大の個性であり魅力。
そして肝心の歌詞。えーと、何がハッピーでバースデイなのか全然分かりません、というかそんな感じ。「日々の出来事はひとつひとつの小さな賭なのに いつでも心は遠くにあった」「この都会は欲望だけを生産している 他人同士でいることが少しも苦にならない」——などといったフレーズが、暖色のフォークロックの音に乗せて爽やかに歌われ、最後の最後で取ってつけたようにようやくタイトルフレーズの「HAPPY BIRTHDAY FOR YOU」が出てくるという、何だかよく分からない仕上がり。色々あるけど頑張って生きていきましょうよ、という普遍的なメッセージソングのようにも聞こえる一方で、都会の生活に疲れ果てたOLさんの陰鬱な日記を無理やり読まされているような気分にもなるし、これがビーイング系?とかなり驚かされるのは事実。デビュー曲としては実に手堅く無難な出来である一方で、感情が暴発寸前というか銃弾はすでに装填済みというか、そんな感じで早くもビーイング系としてはアウトローな道を歩み出す秋吉さんなのでありました。

chigiri2nd
愛なんて - 1997.4.30/チャート圏外
【作詞/作曲:秋吉契里/編曲:C.Crew】
≪9/10点≫
早くも豹変してしまう秋吉さん。レトロでハードタッチなバンドサウンドからして前作とは雰囲気が異なるが、声の表情がもう全然違うし、歌詞も「HAPPY BIRTHDAY FOR YOU」とホントに同じ人?レベルでここからどんどん物凄いことになっていきます。この曲はあたし絶賛人間不信中というか、なるほど鬼塚ちひろやら椎名林檎やらCoccoやら、90年代後半から00年代前半にかけてトレンドになったメンヘラ御用達シンガーのフロンティアは、実は貴女様で仰せられましたかと思わず平伏したくなります。「愛なんて脆いもの 粉々になるまで飛んでゆけ」——と、もう全てがどうでもいいと言わんばかりにひたすら破壊衝動に駆られているように叫び続ける一方で、やっぱりまだどこかで希望を持ち続けていたい自分がいる、二律背反する感情の狭間でもうどうにも身動きが取れなくなってしまって、出口のない迷路をぐるぐると彷徨い続けているような壮絶な世界観である。「土曜日あの女性(こ)と逢ったでしょう 最低な二人を把握してる」——なんて艶やかな低音のクリスタルボイスで歌われてしまうと、もう意味もなくごめんなさいと土下座したくなりますね。
この曲に限らず彼女の詩作には「私だけが異端であり、私だけが特別である」という内省的な世界観にありがちなナルシシズムが見られない一方で、あなたに捨てられたら私はもう生きている意味がない、と言わんばかりの、恋人との別れが自身の生命にリンクしてしまうという圧倒的なまでの恋愛至上主義な世界観は、冷静に考えずとも思わず後ずさってしまうものがあるが、何故か捨て置けない魅力を感じるのも事実であって……要するに、大好きです。個人的に一番凄いなと思うのは「誰かを妬まない 誰かの不幸を願ったりしない」——という部分。言葉とは裏腹に何とかしてこの不条理をどこかにぶつけなくては、という感じにここまで恨みがましく恐ろしく歌える人もなかなか珍しい。

chigiri3rd
熱くならなきゃだめ これも恋だから - 1997.7.9/チャート圏外
【作詞/作曲:秋吉契里/編曲:C.Crew】
≪8/10点≫
やたら長ったらしいタイトルが辛うじてビーイングらしさを誇っているといえる、そんな曲。熱くならなきゃだめと言ってるあなたが一番熱くならなきゃだめです、という感じに前作とは裏腹にえらくクールな声でさらりと歌い流しております。楽曲も前作で早くもデビュー曲の優等生的な仕上がりから一転したが、この曲もまた聴いてると別世界にトリップしそうになるような、なんとも不思議な聴き心地。良い意味で昭和歌謡チックでレトロなメロディはシンプルなのだが上品で美しく、作曲家としてのセンスも大分磨かれてきました。
ただ、これはちょっと歌詞を詰め込み過ぎて散漫になってしまったかなあ、という印象がある。哲学拗らせすぎて屁理屈になってしまっているというか、何を言わんとしてるのかよく分からないし、そもそも音符の数に対して明らかに言葉が多すぎます。「絶対的な生存願望に突き動かされて僅かな期待に縋り苛立ち懺悔して生きている」——って、自分が馬鹿なだけかもしれないけど、えー、要するにあれだ、何でしょうと。これだけならまだしも「人格を冒瀆して衰退の途を駆け昇り輝きと消滅を繰り返し虹みたいに流れゆく」——なんて言われるともう話が壮大すぎてほえ???っとなる。んで結局何の話でしたっけ、という感じに個人的には咀嚼しかねる部分が多くてどうにも。とは言え「出し惜しみしないで もうちょっとだけ高く買ってつまらないこの私を」——というフレーズはなんか好きだったりするんですが。多分この人は詞先で曲を作っていたんじゃないかなあ、と曲を聴いてるとそんな感じがする。もう少し言葉を慎重に選別して推敲してくれれば、と思ってしまう曲がこれを含めて何曲かある。しかし今となってはそうしたところも彼女の魅力のひとつであると言えるのですが、ね。全体に漂う虚ろでひんやりとした空気感はとっても素晴らしいです。


chigiri4th_1
あなたをただ愛して ただそれだけで生きてゆける - 1997.10.29/チャート圏外
【作詞/作曲:秋吉契里/編曲:C.Crew】
≪8/10点≫
長い、とにかくタイトルが長い。これだけでああ、ビーイングだわ、と分かってしまうような出落ち感が満載であります。ということで、この曲も歌詞のハマりが悪いのが気になる。特に最後のサビ部分は字余りアンド字足らずというか、下手な替え歌みたいになってるというか。聴き慣れれば問題ない(?)けども、やっぱりこう、もう少し言葉を整理してですね。この曲と1stアルバム「存在」の頃までは怒涛の感情の嵐に任せた勢い勝ちの部分が大きくて、シンガーソングライターとしての未熟さ・練れてなさが散見される部分が曲によってちらほらと。
しかし歌詞そのものはタイトルから一瞬連想されるような能天気ラヴソングではなく、あなたをただ愛してただそれだけで生きてゆける私が、今はあなたを失って生きる希望を見出せなくなっている、という何やら凄まじいダークネスに思わず後ずさりしたくなるような世界観が広がっていて、これはこれでなかなか。「あなただけに必要とされたら本当はそれでかまわなかった」——と歌う部分、大半の情念系シンガーは恐らく感情込めまくりで歌いそうなものだが、彼女は全てを諦めた後だと言うように冷たく淡々と歌い切る。しかしそれが逆に何というか、今にも生霊が飛んで来そうなリアリティを醸し出していて圧巻。
「裏切られた昨日も話してしまえば笑いごとになる」——と、私にとっての一大事も他人からすれば何でもない、過ぎ去る時の一瞬に過ぎない、という変えようのない前提事実が彼女の詩作にはしっかりと描かれている。だからこそ惨めで悲しく、やるせない。完成度は確かに高いのだが、こういった曲を書いてそれを誰に向けてでもなく、自身を取り巻く不条理をひたすら無表情のまま鈍器で殴りつけるように歌う彼女自身は、なんだか救われないなあと切ない気持ちになってしまう。まあ、今更考えても仕方のないことですがね。

chigiri5th
青白い炎のように揺れ続けて - 1998.1.31/チャート圏外
【作詞/作曲:秋吉契里/編曲:池田大介】
≪9/10点≫
早くもセカンドステージへ突入。唐突にメタモルフォーゼを遂げて、この曲から良くも悪くも楽曲全体に漂う空気感が前作までのそれと比べて徐々に変化していく。前作「あなたをただ愛して~」までのシングル曲とアルバム「存在」の楽曲が暖色系だとしたら、この曲以降は寒色系。モノクロの景色にほんのり濃いブルーが着色されているような、冷たくて薄暗い、スリリングでミステリアスな世界観を展開。それに伴いどんどんヒステリックに感情的になっていく歌声とは裏腹に、マイクの向こうの彼女自身から感じられる体温もどんどん低くなっていくようなイメージ。
と、そんな感じで仰々しく脅かしてますが、この曲は何というか、名探偵コナンのオープニング風というか、何故か「運命のルーレット廻して」を連想させるというかそんな感じで、楽曲そのものの優秀さが際立っている傑作。これまでのダークな世界観を継承しつつ、暗闇のなかでゆらりと仄かに不気味に光る蝋燭の炎のように、静かに美しく燃え上がる愛情を繊細かつクールに表現している。歌詞のハマりの悪さもこの曲以降は完全に解消されて、彼女のディスコグラフィの中でどれが一番ヒット性を秘めているかと言ったら、この曲ではないでしょうか。彼女の生み出す旋律は栗林誠一郎を彷彿とさせるものがある気がするが、やはり平歌の独特なメロディラインを聴くと唯一無二のものだなと思える。
歌詞は好き合っていた相手と別れた後も、あなたを想う気持ちは変わらない——という、割とありがちな内容なのだが、この人の場合はこういう歌も少し恐ろしくなってしまう……のは、個性ですかね。「悲しい気持ちが溢れたらあなたの名前を呼ぶ ~ 二度と逢えないひとなら それは死んでしまったひとと同じだけれど」——というのは比喩でもなんでもなく、本当にこの「あなた」は死んでしまったのでは、と思わせてしまうのが彼女。そして何よりも「私達はどんなときも泣かないように 弱さを隠して歩んでゆくの 虚しい幻想でも心の空白にまぶしさ映して」——と切なく歌い上げる部分が、曲中最大の山場として切なく美しく響く。恋愛に限らず、そもそも生きるってことはそういうことなのかもしれませんね、と強引にまとめる。

chigiri6th
無力 - 1998.5.16/チャート圏外
【作詞/作曲:秋吉契里/編曲:池田大介】
≪10/10点≫
ついに解脱してしまった、と言うと大袈裟かもしれないし、これは一種の葬送曲であるように思える、と書いたら失礼な気がするし、しかし個人的にはそんなイメージを抱かざるを得ない曲。恋人との不和、破局、生への絶望。それだけではない、日常の些細な一瞬に生まれるマイナスな感情に苛まれて、もう死ぬしかない、と思うまでに追い詰められた人間が最後の最後に辿りついた無我の境地。これまでの楽曲で見られた、ただひとりの人間を痛々しいほどに求めては絶望し、抱え込んだ憎悪、悲哀、狂気、激昂といったどす黒い感情を苦々しく吐き出すように歌う彼女の姿はここでは見られない。他の誰かの傷みを救えるほどの力はないけれど、けれどせめてあなたのことは、嘘や強がりで心を閉ざしていた私を優しく抱きしめてくれたあなたのことだけは、優しく愛してあげたい。と、誰もいない静寂な場所でひとり祈りを捧げるように歌う彼女の優しく包み込むような歌声が、ただただ切なく、哀しく、美しく響く。もちろん慈愛に満ちた幸福な歌とも取れるけど、何故か全体に漂う言いようのない終末感に、今わの際に悟りを開いた人間の歌、なんて言ってしまうと極端かもしれないがそんな空気すら感じ取ってしまうのも事実である。
前作までの熱烈な恋愛至上主義の世界を「たわいないこと愛してただけ」——と歌い出しのワンフレーズで片付けてしまうのにも驚くが、「心から幸せになどなりたくないと思った」「せめて優しい気持ちで生きていこうと決めた」——という言葉に対して、「信じてくれるよね」「忘れなくていいよね」——とリフレインする問いかけが、誰に対してでもない自分自身への確認や言い聞かせ、といった風に聞こえてなんだかとても切ない。名曲であることに違いはないのだが、ただ素晴らしいとひたすらに陶酔するには、漂っているものがあまりに重すぎる。とは言え、こういう曲をビーイング所属のシンガーとして世に送り出したという事実だけは、純粋に凄いと思えます。明らかにビーイング系の中では浮いている。ちなみに、この曲からはそれまでのアンプラグドなサウンドから打ち込みメインにシフト。池田大介による乾いた質感のアレンジメントが、彼女の楽曲の世界観をより一層荘厳なものにしている。

chigiri7th
キスより熱い運命 - 1999.8.25/チャート圏外
【作詞/作曲:秋吉契里/編曲:池田大介】
≪9/10点≫
前作で俗世から完全に旅立たれてしまったのかと思いきや、1年のブランクを経て何とか戻ってきてくれました。2ndアルバム「無力」からのパイロットシングル。夜更けの静寂の闇の中、互いの顔は薄っすらと月明かりで輪郭だけがぼんやりと光って見えている、といった感じの妖しく濃密で堅牢な世界が構築されていて、クールでミステリアスな雰囲気が新境地の傑作。なるほど、この真夏の夜闇に吹きすさぶ熱風のような独特の空気感は坂井泉水にも大黒摩季にも倉木麻衣にも中村由利にも(——というか、基本ビーイングの女性シンガーには)出せまい。元々ビーイング系のシンガーにしては歌声の感情表現が豊かな人だったけど、この曲ではオトナの色気を振りまくように艶やかで冷徹な歌声が素晴らしく、歪んだギターが鳴り響くサビは切なく揺らぐファルセットとの相乗効果で滅茶苦茶カッコ良くて痺れます。メロディも決して派手で分かりやすいものではないのだが、彼女の個性と実力が十分に感じられる美しい旋律。
何よりこの曲は歌詞が良いんですよっ。破滅の美学って言うのかな。「ひときれの人格も純粋も認めない恋人のために この地球が燃えてなくなる7の月を待っていた」——みたいな、言わんとしてることはぼんやりしてるけど、なんか言葉の響きというか全体に漂う退廃的な雰囲気がもんのすごいツボです。「キスより熱い運命 誰かをたとえ傷つけてもいいの」——という情熱的な描写のリアリティはもうすっかり手慣れたものであってこうした部分も良いんですが、一番好きなのは「『互いが美しく見える距離で付き合いたい』 それがたったひとつの望みならば 真実の愛というならば ~ キスより熱い涙を ねぇなぜ胸の中に零してゆくの」という部分。こうやって書きだすとただ単によく意味の分からん言葉の羅列にしか見えないかもしれませんが、これが曲になって歌われると不思議なカタルシスを得られるのです。しかし「二十三をすぎても死ねなかったラディエ」——みたいにホントによく分からん部分もあるんですがね。そもそも「ラディエ」って何すか、と。そんな感じに、詩作だけ見てもビーイング系の中ではひときわ異彩を放つ存在でありました(——強いて言うなら、AZUKI七の歌詞から宗教観と哲学を差し引いて恋愛要素と心理描写フィーチャーしたら、って感じなんですが、やっぱりちょっと違う気がする)。

この曲をリリースした一月後に2ndアルバム「無力」をリリース。これ以降年末から年明けにかけてHP上に最初のプロフィールで紹介したライナーノーツ形式の短編小説を連載し、以降は一切の活動を停止。その後詳細は定かではないが病を患い、闘病の末に2004年9月8日、35歳の若さで彼女はこの世を去り、結果的にこれがラストシングルとなってしまった。「complete of ~ at the BEING studio」といったベスト盤も出されておらず、(——ビーイングもZARD関連のリイシューはもういい加減にして、こういう自社の埋もれてしまったアーティストの音源をきちんと整理してほしい)今日彼女の残した作品はまるで時空の狭間を彷徨うかのように、ごくごく一部のリスナーの間でひっそりと語り継がれているのみである。
少しでも興味を抱いてくれたなら、動画サイトなどで(——と言ってもほとんど上がってないけども…)軽くでもいいので彼女の作品を聴いてみてほしい。好き嫌いは別として、ビーイングに、この世に、秋吉契里というシンガーが確かに存在していたことを、少しでも多くの人が記憶の片隅にでも留めておいてくれたら、それでいいんじゃないかなと思う。