河合その子
・1965年6月20日、愛知県知多郡横須賀町(現:東海市)出身
・レーベル:CBSソニー
・活動期間:1985年~1990年

アイドルの芸能活動というのはいつの時代も過小評価されがちだと思う。時代は今、某48人組アイドルグループの天下といえるが、果たして彼女らがいざグループを卒業し本格的な女優やミュージシャンへの道を選んだ時、元アイドルグループ出身、という色眼鏡を外し真っ当な評価を受けることが可能かと言われれば、それは明らかに茨の道であるのが目に見えている。アイドルとして得た人気やブランドと引き換えに、彼女らは半永久的に"元○○の~"といった己の過去の幻影に付き纏われることになり、女優や歌手として独り立ちしようとすればするほど、そうした「元・アイドル」のイメージが障害となって彼女らの前に立ちはだかる未来が待っていると言っていい。今回紹介する河合その子は、まさしくそれ。

彼女は今や「AKBプロトタイプ」と言われるおニャン子クラブの元メンバーである。フジテレビのバラエティ番組「夕やけニャンニャン」発の秋元康が全面プロデュースを手掛けたアイドルグループで、それまでのアイドルにあった近寄りがたさや神秘性を取り払い、お堅い芸能活動ではなくあくまで放課後のクラブ活動のような軽いノリで、何の芸も持たない少女たちがただひたすらきゃっきゃうふふしてるのを、全国のお茶の間の少年たちは可愛いなあとクラスメートを眺めるような感覚で仮想恋愛に浸る――という当時は雲の上の存在と言われていたアイドルの存在価値を根本から覆すようなコンセプトがウリであった。
おニャン子クラブのメンバーになるには、番組内で毎週行われる公開オーディションに合格する必要があったのだが、85年4月の番組放送開始直後に行われたオーディションの記念すべき合格者第一号が彼女、河合その子であった――が、彼女は実際にはおニャン子クラブのメンバーになりたかったわけではなく、ましてただの素人でもなかった。

実は遡ること83年に、彼女はCBSソニー主催の「ティーンズ・ポップ・コンテスト」という、楽器が弾けることが必須条件の若手ミュージシャン発掘系のオーディションで準優勝(――谷村有美や川島だりあも同コンテスト出身である)して、夕やけニャンニャンのオーディション合格時にはすでに事務所にも所属していた。年齢的には中森明菜や小泉今日子と同期であるのだが、しかし彼女はソニーに所属はしたもののソロの歌手としてデビューすることなく、高校からそのまま専門学校へ進み就職先もすでに決まっていた85年春におニャン子プロジェクトが発足、メンバーを探していた事務所スタッフに半ば騙されるような形でオーディションに参加する。
高校生であることがオーディションの参加条件であったので、すでに高校を卒業して社会人だった自分が合格することはないだろうと軽い気持ちで引き受けた結果、よもやまさか合格してしまい、彼女はおニャン子クラブの会員番号12番としてデビューすることになる。

とは言え、まさに美少女と呼ぶにふさわしい圧倒的なビジュアルと天然キャラで、スタッフの思惑通りにメンバー入り直後からたちまちおニャン子クラブ内で1、2を争うほどの人気を得る。おニャン子クラブ本体は翌86年に社会現象になるほどのブームを巻き起こすのだが、彼女はその助走段階としてグループの黎明期を支え、レコード会社の事情から楽曲のフロントボーカルに抜擢されることはなかったが、アイドルとして申し分のない人気とブランドを短期間で築き上げた上で、同年9月におニャン子クラブのメンバーとしては初のソロデビュー、かつ念願だった歌手デビューに漕ぎ着ける。

ソロデビューシングル「涙の茉莉花LOVE」はオリコン週間チャートで最高1位を記録。これは女性ソロ歌手のデビューシングルとしては当時史上初の記録である上、おニャン子関連の作品でも初の首位獲得(――かの有名な「セーラー服を脱がさないで」は1位獲得はしていない)であり、アイドルとしての彼女の人気がどれだけのものであったかが分かる。そしておニャン子クラブ卒業直前の86年3月にリリースした3枚目のシングル「青いスタスィオン」はおニャン子関連の作品では現在でも歴代最高の累計約34万枚のセールスを記録し、86年の年間チャートでも10位にランクインするという快挙を成し遂げ、彼女の歌手としての活動は何もかもが順調な滑り出しであるかのように思われた――が、しかし、と言うべきかやはり、と言うべきか。彼女はここから茨の道を歩むことになってしまう。 

元からアイドルではなくプロ志向の歌手・ミュージシャンを目指していた彼女は、86年3月におニャン子クラブを卒業すると同時に物凄い勢いで本格的なアーティストへの道を邁進することになる。
おニャン子時代からソロ4枚目「再会のラビリンス」までは、昨今のアイドル声優のごとく「意図的に」甘ったるく媚びた歌声を作ってしゃくり上げながら歌う、所謂「ぶりっ子歌唱」でわざと下手に聞こえるようなボーカルスタイルであったのをさっさと捨て去り、ソロ5枚目の「悲しい夜を止めて」ではそれまでとは全くの別人としか思えないほどに迫力と艶のある低音でパワフルに歌い上げるボーカルアプローチを披露。それまでのぶりっ子アイドルの仮面を剥ぎ取って、実は凄まじい歌唱力を持つ本格志向のボーカリスト、という本性を見せつける。
おニャン子クラブのメンバーとしてぶりっ子アイドルを装う必要の無くなった彼女はそれ以降、もはやアイドルという範疇を完全に逸脱した本格的かつ完成度の高いアーティティックな作品を矢継ぎ早に発表して更に実力を磨いた後、89年のアルバム「Dancin' In The Light」ではついに作曲まで手掛けるようになり、シンガーソングライターとしての才能も開花する――と、これだけ書くとアイドルからアーティストへの素晴らしいサクセスストーリーに思えるかもしれないが、しかし彼女の一連の音楽活動は、ある意味で一番重要とも言えるセールスに全く結びつかなかった。

凄まじい歌唱力で、それに見合うクオリティの高い楽曲を歌い、作曲の才能もあり、極めつけに美しいビジュアルの持ち主(――現代基準で見てもかなりの美人だと思う)。河合その子という歌手のステータスは、まさにチートスペックと呼ぶに相応しい、80年代に登場した幾多のアイドルたちの中でも指折りの逸材であると言える。これで売れないわけがない。しかし実際のセールスや人気はおニャン子クラブ卒業直前の「青いスタスィオン」をピークに、急転直下で右肩下がりの一途を辿ることとなった、何故か。それは、彼女がおニャン子クラブだったから。

「おニャン子クラブ会員ナンバー12番の河合その子」としてデビューした彼女には、乱暴な言い方をすれば「アーティスト・河合その子」はファンも世間も必要としていなかったのである。彼女は、歌も芝居も出来ない、ただひたすら周囲の大人たちの言いなりになって可愛く笑っているだけのアイドルではなくなった途端に多くのファンから愛想を尽かされ、しかしアーティストとして本来訴求していくべき音楽好きなどには所詮おニャン子上がりと門前払いをくらい、結局その後も失ったポピュラリティーを取り戻すことが出来ずに90年に全自作曲のアルバム「Replica」を発表後に活動休止を宣言し、その後94年に自身の大半の楽曲を手掛けた後藤次利氏と結婚、そのままアーティストとして返り咲くことなく引退してしまった。

改めてリアルタイムではなく後追いで作品を聴いた自分としては、彼女と周囲のスタッフは少し焦り過ぎたのではないか、と感じる。デビューシングル「涙の茉莉花LOVE」と1stアルバム「SONOKO」から順を追って聴いていくと、僅か5年という短い活動期間であったのにも関わらず、その間にリリースされた作品群は他の歌手にとっての10年、もしくはそれ以上に相当するくらいの変化を遂げている。例えるなら、中森明菜がデビュー曲「スローモーション」から本格的にセルフプロデュースを開始する「DESIRE」に至るまで約3年半に渡って踏んでいった段階を、彼女は僅か1年程で突き進んでしまった、といった感じか。
アイドルとして自ら築き上げたブランドやイメージを、アーティスト化を急ぐあまりファンや世間からの理解を十分に得られぬまま強引にぶち壊してしまったも同然で、確かにこれでは聴衆が付いていけなくなってしまうのも無理はない、と思う。デビュー4年目の88年には、いつまでも自らをアイドルとして扱うメディアに嫌気が差したのか、驚きのテレビ出演拒否を宣言するのだが、これによってそれまでなんとか付いていけていた残りの熱心なファンも振り切ってしまい、身動きが取れなくなった末に引退という結果に終わるのだから本末転倒である。

何を思ってスタッフが彼女をおニャン子クラブとしてデビューさせようと思ったのかは分からないが、もし彼女がもう少し待って、80年代後半のバブル全盛期にアイドルではなく、最初から歌の上手いアーティストとしてデビューしていたなら、恐らくかなりの大物になっていただろう。アイドルらしかぬさっぱりと洗練されて伸びやかな声質は今井美樹やZARDの坂井泉水と同系統であり、作曲も手掛けるという点では大黒摩季や岡本真夜の向こうを張ることも出来る。このような彼女の歌手としての優れた才能を生かせば、90年代にヒットチャートを席巻したガールズポップシンガーの重鎮として第一線で活躍、という構図もあり得ない話ではなかったと思う。

もちろん今更ここで自分がどういう言ったところで、彼女はすでにとっくに引退しているごく普通の専業主婦であるからどうしようもないのだが、ここまで後追いで聴いてもったいない、と思わせる歌手も珍しいのですよ。と言うわけで今日、某48人組グループやそこからぞろぞろと放流されている少女たちをうっぜーっと思ってる人も、最初から全否定するんじゃなくて、河合その子さんのように過去に潰れてしまった逸材の存在もあるので、決して元AKBだのなんだのという色眼鏡をかけず、きちんとその人自身を評価してあげましょう、ということ。ああホントにもったいない。机を拳でがんがん叩きたくなるほど、もったいないっ。



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涙の茉莉花LOVE
- 1985.9.1/1位/19.0万枚

【作詞:T2/作曲/編曲:後藤次利】
≪8/10点≫
"茉莉花"と書いて"ジャスミン"と読む、と言うわけで悲願の歌手デビュー曲にして、おニャン子クラブからのソロデビュー第一号でもある。キャッチフレーズは"フランスと中国のハーフの女の子"…確かに白人ハーフっぽい顔立ちの美少女ではありますが、その子さん本人は愛知県出身の純粋な日本人でございます。じゃ、このキャッチフレーズはどういうことかって、これは曲そのものを指していたのだろうな。擬似スペクターサウンドのようなフレンチテイストのトラックに、アジアンな中華っぽいメロディを乗っけて、というなんでもアリなゴツグマインドが発揮されているが、彼自身その子さんを後年お嫁さんにしてしまっただけあって、並々ならぬ気合いや入れ込みようは曲全体からびしばし感じられます。何せ作曲家だと言うのにディレクターとの共同ペンネームを用いて作詞までしちゃってるし。この頃から目を付けていたのでしょうか。
なんて下世話な勘ぐりはともかく、以降ヨーロピアン路線を突き進むことになる河合その子プロジェクトの下地を確立したクオリティの高い曲で、個人的には結構好きなのだが――なのだが、肝心のその子さんは意図的にアイドル声優のごとくな萌え系ボイスで歌っており、ここでは典型的なぶりっ子アイドルを演じている。もちろん、これはあくまで「おニャン子クラブ」の一員としての演技であって、元来の迫力ある低音や伸びやかで安定したファルセットを自在に操ることが出来る高い歌唱力は、この頃は敢えて封印している。
とは言え彼女が後年アーティストとして世間に受け入れられることが出来なかったのは、やはりこの時期のぶりっ子アイドルのイメージが強すぎたがためと言えるわけで、そうして考えると良い曲なんだけども、後追いリスナーとしてはちょっと、いやかなり複雑な気持ちになったりもする。彼女の最大の不幸はやはりおニャン子クラブとしてデビューしてしまったことなのだな、と思わず溜息。しかしながら実際はまだ手探り状態であったおニャン子プロジェクトからのソロデビュー第一便、ということで本人は相当なプレッシャーを背負わされていたらしく、だが結果的に女性ソロ歌手としては初めてのデビュー曲で1位獲得、ついでにおニャン子関連の楽曲としても初の1位獲得、という偉大な記録を2本も打ち立て、アイドルとしてはこれ以上ないほど完璧な船出であった。

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落葉のクレッシェンド
- 1985.11.21/2位/18.3万枚

【作詞:秋元康/作曲/編曲:後藤次利】
≪8/10点≫
ジャケットの、ハーフのような顔立ちが美しいその子さんのポートレートが印象的な2枚目。ざっくり言えば「涙の茉莉花LOVE」の二番煎じ――っと片付けるには少々もったいない気もするが、路線はやはりフレンチと中華のハイブリッド歌謡。「涙の茉莉花LOVE」に比べ意識的にマイナー調のメロディを織り込むことによって、なんとなーく秋っぽく切ない雰囲気が漂う仕上がりではある。そして、おニャン子クラブ総合プロデュースの秋元先生が作詞に介入するのはこの曲から、彼の詩作は昔から今に至るまで谷川岳のごとくクオリティの高低差が激しいけども、ゴツグと同じく彼もやはりその子さんにただならぬ可能性を見出していたのか、どれも作詞家・秋元康の代表作と言って差し支えないほどハイセンスな世界観を描き出している。この曲では"苦しいほど好きになって 初めて恋を知ったの"というフレーズが光っている。
そんな楽曲を背負う一方でボーカルは未だぶりっ子発動中、B面の「午後のパドドゥ」なんて聖子ちゃんも真っ青と言わんばかりの可愛い通り越して馬鹿にされてるようで腹の立つ萌え系ボイスを披露しております。ここまで行けばもう受け入れるしかないよね、と思ったりもするのだがA面のこちらは早くも下手くそアイドルを装い切れていない部分が散見される。ふぁーっと息が漏れているような間抜けな高音から一転して腹に力の入った迫力ある低音、という途中で歌う人変わってないか、って感じに一曲の中でくるくるとボーカルが変化していくさまは聴いててなかなか面白いです。音程やピッチはあくまで完全に安定してるんですよね、要するに下手に聞こえるような声を作っている、なんてそっちの方が難しくないか、ということをこの頃の彼女は可愛い顔しながら平然とやってのけていたわけですが。
88年のベスト盤でのセルフカバーや後年の作品群などと聴き比べると、この声はどこから出してたんかいと思わず突っ込みたくなるが――こうしたぶりっ子アイドルの仮面が素だと思わせてしまうのだから、あんまりビジュアルが良すぎるのも考えものだな、と感じます。

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青いスタスィオン
- 1986.3.21/1位/34.1万枚

【作詞:秋元康/作曲/編曲:後藤次利】
≪10/10点≫
おニャン子クラブ会員番号12番としてデビューして1年が経ち、ソロデビューも一番乗りなら卒業も一番乗り、と言うわけで早くもおニャン子プロジェクトから巣立つことが決定したその子さん。そんなわけでソロ3枚目にして"おニャン子クラブ会員番号12番河合その子"としてのラストシングルは卒業ソング。なのだがただの卒業ソングではなくこれがもう、何故こんな唐突にと言わんばかりの超名曲。80年代のアイドル歌謡の中でも指折りの傑作であろう。
舞台はどこか遠い異国の地にある小さな駅のホーム(スタスィオン=stationのフランス語読み)、幼い頃からの夢を叶えるため都会へ向かう少年を見送るヒロインの複雑な心境が、まるでドラマか映画のワンシーンのごとくフレーズ毎に丁寧に切り取られており、それをヨーロピアンでクラシカルな気品漂う華やかなバックトラックと冴えたメロディに乗せ、ほんの少しぶりっ子武装を解除して本気モードに切り替わったその子さんの、伸びやかで透き通ったボーカルで歌われることによりそこにひとつの幻想的な世界が生まれている。どこまでも澄み渡る青い空の下、風が吹き抜けていく音や木立の葉が擦れる音、風に揺れる色とりどりの花たち、そんな景色の中にぽつんと佇む、この世ならざらぬ雰囲気を纏ったひとりの美少女……という、ドラマはおろかアニメやゲームの中でしかお目にかかれないような、ある意味で俗世間とは完全に隔離された神秘的な世界観が構築されている。「眩しそうに遠くを見てる あなたの表情が好きよ」なんてこんな超絶美少女に歌われた日には(――秋元先生の策略にまんまと嵌まったみたいで複雑だけど)思わず卒倒してしまいます。ラストの「ほほえみながらそっとかくした 涙ひとつぶ」と歌う部分に湧き上がる幻想的なセンチメンタルには、素晴らしすぎて言葉も出ない。
結果的にこの曲が年間シングルチャート第10位という記録的な大ヒットを収め、最終的におニャン子関連の作品としても(――おニャン子プロジェクト終了後にデビューした工藤静香を除くと)最大のセールスとなったのは、もちろんおニャン子人気がピークに達したタイミングでのリリース、という事情もあったのかもしれないが、ここまでアイドルポップスとして完璧な作品が世の少年たちのハートを射止めないわけがなかったのだと、つまりはそういうことで売れるべくして売れた曲であると思う。もしもこれがデビュー曲だったなら、以降の彼女が辿る道はもう少し違ったものになっていたような気がするが――今更考えても仕方のないこと。ともかくこの曲は発表から30年経とうとしてる今日聴いても全く色褪せていない、エヴァーグリーンな大名曲です。

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再会のラビリンス - 1986.7.2/1位/16.8万枚
【作詞:秋元康/作曲/編曲:後藤次利】
≪9/10点≫
おニャン子クラブを卒業し、ソロ歌手・河合その子として初のシングル。前作「青いスタスィオン」の成果を糧に更に飛躍していく彼女を支える秋元先生とゴツグ先生も、同時進行でおニャン子やら原田知世やらにいい加減な曲ばかり書いていたとは思えぬ程に気合いが入りまくっていて、やはり傑作。ざっくり言えば「青いスタスィオン」のその後の物語がここでは描き出されている。
あなたの幻を追いかけて、ただ風の噂だけを便りに急かされるようにして飛行機に乗り、遠い異国の地に降り立ったヒロイン。そこで待っていたのは、もうあの頃のあなたではなくなってしまったかつての愛しい人。「会えるだけでいい」というリフレインから繋がる「届かない向こう側 ハートがもどかしいのは そう私よ」という部分で、一瞬にしてそれまでの期待が打ち砕かれ「再会のラビリンス」から「後悔のラビリンス」となり、やり場のない悲しみに襲われるヒロインをリスナーに提示する、という見事なストーリー性のある詩作は悔しいけど秋元先生素晴らしいとしか言いようがないし、ゴツグ先生おニャン子の曲は片足で書いていたのかと思うほどに異国情緒な空気感が漂うドラマチックで美しい楽曲は文句の付けどころがないしで、確実に80年代中盤以降のアイドルの中ではトップクラスの楽曲を頂いております。
その子さんも本来のポテンシャルを発揮するのは次作以降からだが、前年の「涙の茉莉花LOVE」の頃に比べるとぶりっ子武装も解除されて盤石の歌唱であるし、作品として見るとアイドルとは言えかなりハイセンスな仕上がりであることに違いはないはずなのだが……おニャン子卒業でファンの熱が引いてしまったのか、セールスはここから完全に下山ルートで右肩下がりの一途を辿ることになる。うーん何故だ、ってまあおニャン子クラブだから、なのですが。もはやこの時点ですでにおニャン子クラブ(=素人姉ちゃん集団)出身とは思えぬ程に本格的になり過ぎていて、早くもファンが彼女に望むものと彼女自身が進みたい方向性との齟齬が発生してしまった模様。だって冷静に考えてみればデビュー1年足らずでこれって、中森明菜で言ったら「少女A」の次に「BLONDE」が来てしまった、みたいなものだしな。とは言え猛スピードでアーティスト化への道を突っ走るその子さんを誰も止めることは出来ず、次作で完全に別次元に行ってしまうのであった。

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悲しい夜を止めて - 1986.10.22/1位/12.8万枚
【作詞:秋元康/作曲/編曲:後藤次利】
≪10/10点≫
突然のメタモルフォーゼを遂げる河合その子。デビュー曲「涙の茉莉花LOVE」から順を追って聴いていくと確実に戸惑うこと間違いなし。これまでのぶりっ子キャラや哀愁フレンチ路線は一体何だったのかと言いたくなるほどに、それ以前にホントに同一人物なのかと思わず疑うほどに、全てが別次元。彼女のディスコグラフィを眺めてもここだけぽつんと孤立している印象だが、これはその子さん本人によるアーティスト宣言のような曲。
まず秋元先生の詩作の世界観は不倫の恋に溺れている男性視点で描かれていて、これはぶっちゃけ知世さんの「雨のプラネタリウム」とか工藤静香の「禁断のテレパシー」とかと同系統の、女性アイドルのアーティスト化=不倫の歌、みたいな方程式が出来あがってそうな秋元先生らしいと言えばそれまでなのだが、場面転換や起承転結のストーリーを丁寧に描写しているのはもう素晴らしいと認めざるを得ない。ゴツグによるスリリングかつドラマチックな曲調、一旦前作までのヨーロピアン路線を離れ、真冬の夜の冷え切った空気感を音で構築したようなクールなデジタルサウンドは、曲全体に言いようのない緊迫感や寂寥感を漂わせていて相変わらずのハイクオリティ。
そして何よりもそれを歌うその子さんのボーカルがもう、前作「再会のラビリンス」と同一人物だとはとても思えません。ここでようやく隠していた凄まじい歌唱力の封印を解いたボーカリスト・河合その子、今までの媚びまくったよ萌え系ボイスは一体何だったのかと歌い出しの艶やかで迫力のある低音に驚くのも束の間、そのままサビにかけてどんどんパワーを上げていき、サビの「グッバイ ララバイ」のリフレインではどっしりと芯のある低音でありながらも、どこか憂いや儚さを孕んだ伸びやかな歌声に、開いた口が塞がりません。もちろん、ただ技術的に優れているだけでなく、あくまで男性視点の歌詞であることを念頭にそれをしっかりと声で演じている。ドラマチックなサビに繋がっていく「もう君はあの頃の淋しがりやじゃないのさ」から湧き上がる叙情性や「僕の代わりにタイヤが軋んで泣いてる」という描写から漂う押し潰されそうな孤独感などを、低音からファルセットまで自由自在に使い分けながら歌うことによって完璧に表現しきり、もはやおニャン子クラブはおろかアイドル歌手であるということも忘れるくらいの圧倒的な歌唱。
もちろん広いアイドル業界、松田聖子と中森明菜というツートップに加えて河合奈保子や本田美奈子など、歌が上手いと言われるアイドルは他にも数多く居たが、彼女の場合はスタート地点がおニャン子クラブであったということを踏まえると、そのギャップの凄まじさやここまで唐突な路線転換というのは、他にあまり例がないと思う(――声のタイプは違うが例えるなら、AKB脱退した子がSuperflyばりの本格派ボーカリストに変身した、くらいの衝撃)。だってこれでまだおニャン子卒業して1年も経っていない僅か半年ということを考えると、急展開にも程がありますよ。結果的にこの曲のリリースによって、おニャン子在籍時に築き上げたアイドル人気に「ブレーキ急にかけて」しまうことになるのだが、そうした余計な色眼鏡を抜きにして評価すべき大名曲であることに違いはなく。そして勢いそのままに、この突然の変貌に戸惑うリスナーを置き去りにして、彼女は更なる本格派への道を突き進んでいくこととなる。

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哀愁のカルナバル - 1987.2.26/3位/9.3万枚
【作詞:秋元康/作曲/編曲:後藤次利】
≪10/10点≫
「青いスタスィオン」から僅か1年でこうなりますかあ、と驚くこと必至な6枚目のシングル。まだ6枚目だよ、これ。前作「悲しい夜を止めて」で一旦距離を置いていた異国情緒路線に再び復帰、ということなのだがクラシカルな気品溢れるサウンドに漂う独特の重厚感や荘厳さは「再会のラビリンス」までの楽曲群にはなかったもの。
曲調は中森明菜「ミ・アモーレ」の向こうを張ってやると言わんばかりのラテンテイストで、眩い光の向こう側からゆらりと現れたかのような静かなスローバラード風の歌い出しから一転、アッパーなリズム隊が加わって流れるように平歌に突入、徐々に盛り上げていった後ブリッジのように一呼吸置いて、スリリングでダンサブルなサビが展開される、という大胆かつドラマチックな楽曲構成でやはり完成度高し。もはやゴツグサウンドではお約束な終始ベコベコうねりまくるベースラインに対して、随所で主張してくるリバーブのかかった哀愁漂うサックスの音色が良いアクセントになっている。
そしてサビの終盤でその子さんのボーカルがそれまでのドスの効いた低音から伸びやかなファルセットに切り替わる部分、これが一種のカタルシスとも言うべき最大の山場となっており、前作で封印を解いた彼女の優れた歌唱能力が存分に発揮されている。カルナバルというタイトルを冠してる通りに歌番組などでの歌唱では、自らデザインしたという純白のドレスを身に纏い、サビで腕を大きく後ろに伸ばす激しいフリ(――とんねるずには「鶴の恩返しダンス」と名付けられていた模様)で踊っていたが、それでも音程やピッチが乱れたりすることなく涼しい顔でこの難しい曲を歌いこなしていたのには驚かされます。
秋元先生による「失恋の痛手を振り切るようにカルナバルの踊りの渦に紛れるヒロイン」を描いた詩作の世界観は、ぶっちゃけ完全に「ミ・アモーレ」ベースに舞台設定したとしか思えないけども「許さないで私を 砂の嵐さらわれて 傷ついても知らぬふりして」の部分における彼女の鬼気迫るような力強い歌唱に大分救われているし、割と抽象的だけども各フレーズの表現や言葉選びは丁寧なので、これはこれで良い出来。
そんな感じでアイドルからアーティストへの脱皮を図るその子さんの気合いに駆り立てられるように、ゴツグと秋元先生の本気オーラが漂いまくっている確かな名曲なのだが、一歩引いてこれがおニャン子クラブ出身のアイドルの作品、ということを考えると……いやあ、いくらなんでも渋すぎますよ。「おニャン子クラブ会員番号12番の河合その子」を応援していたファンにしてみれば、極端に例えるなら松田聖子が途中で中森明菜にすり替わったみたいな感じで、こうなってしまうともはや宇宙人みたいなものでは。おニャン子時代にどれだけ自我を抑え込まれていたんですか、という。しかし今更来た道を引き返すようなことをせず、更に彼女は旧来のファンが付いていけないような世界へとまた一歩前進していく。

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JESSY - 1987.6.17/3位/7.8万枚
【作詞:川村真澄/作曲/編曲:後藤次利】
≪10/10点≫
デビュー以来続けてきたヨーロピアン路線の集大成となったアルバム「Rouge et Bleu」の収録曲「ジェシーの悲劇」の歌詞とアレンジを大幅に変更して発売した先行シングル。前作「哀愁のカルナバル」もアイドルが出すにはとてもヒットするとは思えぬ渋すぎる曲でしたが、これはその更に上へ突き抜けてしまっております。もうヒットを狙う気なんて最初から全く無いのでしょうな。その場凌ぎのヒットチャートよりまずアーティストとして世間に認知してもらうことが優先、といった感じで。
ヨーロピアン路線の集大成としてクラシックに挑戦してみよう、ということで厳かな静寂を湛えたオーケストラチックのアレンジ、ドラマチックで大袈裟な転調がいっそ清々しいメロディに、情感込めまくりで張りつめた緊張感と憂いを孕んだその子さんの絶唱が乗っかり、ポップミュージックを超越したもはや芸術作品の域に達している。美術館の展示品を心を無にしてじっと見つめるような、陶酔してナンボの世界観とでも言えばいいのか。まるで古き良き海外のラブロマンス映画のワンシーンを切り取ったように、美しくも儚いセンチメンタルが湧き上がるような詩の世界は具体的に何を言わんとしてるのかはよく分からないが(――何せ川村真澄先生なのでそれらしい雰囲気が伝わればそれでオッケー、という感じがしないでもない)「ジェシー」と祈るように歌うその子さんの歌声に呼応するように転調するサビでは圧倒的なカタルシスを得られるし、「名前を呼んで 戻るならばそうね何度でも」というメランコリーで素敵なフレーズ群も素晴らしく、ゴツグのサポートによるヨーロピアン路線でやるべきことは全てやり切ったと言わんばかりの、華麗なる大名曲に仕上がっている。何を今更ともちろん分かり切っていることだが「※元おニャン子です」というテロップを差し込みたくなるほど、レンガ造りのごとくな重厚感が楽曲全体から漂っていて、よくこれをシングルカットしてベストテンとか夕やけニャンニャンとかで歌おうと思ったなと。良い作品を作り上げることが出来た、という揺るぎない自信の表れなのだろうが、ここまで旧来(=おニャン子時代)のファンをふるいにかける人も珍しいと思います。
――っと、おニャン子在籍時代の「涙の茉莉花LOVE」から僅か二年足らずで全くの別人にすり替わってしまったように凄まじいメタモルフォーゼを遂げた彼女はここに来るまで相当な数のファンを振り切ってしまったのだが、逆に考えるとよくここまで残ったなと思える。本格派への道を急がずにきちんと戦略を練って活動していたら、アイドルとして歌手としてかなりの大物になっていたのではないかと。しかし当の本人は高い音楽的才能を有し、最初からアイドルになる気などまるでない純粋な歌手志望であったので、仕方がないと言えばそれまでなんですがね。

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夢から醒めた天使 - 1987.10.21/11位/3.1万枚
【作詞:小林和子/作曲/編曲:和泉一弥】
≪8/10点≫
7月の夕やけニャンニャン終了とそれに伴うおニャン子クラブ解散で、実質ここでようやくおニャン子の呪縛から解き放たれたと言っていいのだが、ファンは非情なものでおニャン子クラブが無くなってしまえばもう興味はない、と言わんばかりに足並み揃えて元メンバーの少女たちの芸能活動は困難になっていく。引退して一般企業に就職した者、地元に帰って結婚して家庭に入った者、タレントとして芸能界での生き残りを賭けてバラエティに出まくる者、ヌード写真集を出してしまった者、50人以上も居たメンバーたちのその後は様々だが、ではその子さんはと言うとアーティストとしての活動を諦める気などないが、タレント活動にはもう興味がないとこの曲を最後にテレビ出演の一切を拒否する、という強硬手段に打って出る。「青いスタスィオン」の頃から「良い曲だね、じゃなくて良い歌だねと言ってほしい」とラジオで発言してアイドル的な扱いをされることを遠まわしに拒絶していたようだが、いつまでも自立したアーティストとして扱ってくれないメディアに我慢の限界だったのかどうなのか、ある意味潔くてカッコいいよなあ、と思ってしまいます。
さて、前作「JESSY」とアルバム「Rouge et Bleu」でデビュー以来のヨーロピアン路線に終止符を打ち、ゴツグともしばらく距離を置くことにしたその子さんの新たなる展開は、ザ・歌謡曲。これまでスタイリッシュで洗練された和製フレンチ路線を突き進んでいたのから一転、ドメスティックでシンプルな純歌謡路線に転向するとはまた突飛なと一瞬思ったりもするが、寧ろこうした余計な装飾のない王道を貫く歌謡曲の方が高い歌唱能力や音楽的センスを問われたりするもので、流れとしては自然か。
後に中森明菜へ「LIAR」という大名曲を提供する和泉一弥の楽曲は、適度に翳りがあって冷徹な空気が漂うあたりがいかにも歌謡曲、といった感じだけども日本人の琴線に触れるような懐かしくも切ない情感を湧き立てる秀逸な仕上がりであるし、その子さんのボーカルも前作までの気合いの入りまくったものとは打って変わって少し力を抜き、可愛らしく伸びやかな声質を生かしてさらっと歌い流すようなアプローチを試みている。おニャン子が解散したタイミングで「夢から醒めた天使」という意味深なタイトルと「去りゆく季節を嘆いても 恋人は戻らないから」なんて核心を突くような言葉が飛び出す歌詞には、色々勘ぐってしまうものがあるがそれはそれとして、派手さはなくとも良い曲です。それにしてもまあ、これだけハイクオリティな楽曲を連投し続けてアーティストとしての自覚もきちんと持ち合わせた彼女でさえ、セールスは厳しくなる一方だったのだから「おニャン子クラブ」というパブリックイメージは強すぎたというか、そりゃ他の元おニャン子たちが今日ほとんど残ってないわけだよなあ、と。

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雨のメモランダム - 1988.4.21/29位/2.3万枚
【作詞:川村真澄/作曲:木戸やすひろ/編曲:大谷和夫】
≪9/10点≫
前作を最後にテレビへの主演拒否を打って出て本格的にアーティスト活動へ専念することを決めたその子さん、以降90年に引退するまでに米国へ渡ってボイストレーニングしたり、現地のミュージシャンとコラボしたり、作曲の勉強をして最終的にアルバムの全楽曲を自分で手掛けるようになったりするまでになるのだが、それらはあくまでアルバムの話であって、シングルのリリースは結果的にこれが最後となった。当初はB面の「ラヴェンダーが目印」がA面になる予定であったのを、リリース直前に本人の希望でこの曲に差し替え。中森明菜じゃあるまいし、そうまでして推す理由が果たして何かあったのだろうかと聴いてみると、ええその子さんこの頃プライベートで何かあったのですか、というそんな感じである意味凄まじい曲。
何やら早速不穏な印象を抱かせるイントロから流れるように歌い出すその子さんの低音ボイスが、これまでになく鬼気迫るように艶めいていて、そのあまりの唐突さに唖然としながら聴き続けてサビに突入するともう、爆発。溜め込んでいた情念の全てを放出せんと言わんばかりに、歌っているというよりもほとんど叫んでるといった方が正しいくらいに喉全開で吠えまくる。もう泣いているのか怒っているのかという、負の感情に任せたままの絶唱、という感じ。可愛らしいお顔に似合わず声量があってドスの効いた低音を得意としていることは存じておりましたが、ここまで来ると歌上手いなあ、と感心する以前に何かあったのかと聴いてるこちらが意味もなく不安に襲われます。随所でぎゅいんぎゅいん主張してくる歪んだギターサウンドが、また何とも言えない薄暗さというか不気味さというか浮遊感を漂わせていて、いやこれはこれで素晴らしいし嫌いじゃないけども、ホントにどうしちゃったんです、と。
歌詞の内容はざっくり言えば「悲しい夜を止めて」の女性視点バージョンというか、恋人に何も言わず共に暮らした部屋を出て行くヒロインを描いているのだが、サビの「風が頬で雨に変われば ツライ心迷うけど」から漂う息が詰まりそうな緊迫感はただ事ではないし、「いつかあなたなしで夢見る 夜にあこがれていたの」と歌う声にはやり切れぬ諦念に混じって恐ろしささえ感じる。こうした大迫力のボーカルアプローチが私情に起因するものではなく、あくまで歌唱表現の一貫だったのならそれはそれで大したものだが(――アルバムを聴いていても曲ごとに自在に声質を変化させている)、理由はどうであれこの抜き差しならぬ魂の叫びみたいな仕上がりにはとにかく圧倒されます。もちろんこれも高い歌唱能力があってこそ、今井美樹やら坂井泉水やら岡本真夜やらには絶対に真似の出来ない芸当です。
以降の彼女は先述の全自作曲の「Replica」を含めた3枚のオリジナルアルバムと1枚のベストアルバムを発表した後、活動休止に入りしばらくはゴルフのレクチャー番組にゲスト出演したり、音楽雑誌にコラムを寄稿したりしていたようだがやがてそれも途絶え、消息不明とまで言われるようになった94年に後藤次利との結婚を発表。ミュージシャンとして復活することなく、そのまま引退して地元の愛知県に戻り、現在は普通の専業主婦として第二の人生を歩んでいる。

GOLDEN☆BEST
河合その子
ソニー・ミュージックハウス
2002-11-20